建前ではなく独創的なことをと意気込み、エッセイを書く

私が通っていた高校では、国語の授業の一環で毎年、日本語大賞というエッセイコンテストに応募することが決まっていた。授業中にエッセイの書き方を学び、その腕試しという形式で1年生から3年生まで日本語大賞にエッセイを送るのだ。稀に入選する人もいて、それなりのビックイベントだった。

その年の日本語大賞のお題は「私が言いたい日本語」だった。
クラスメイトが書いたエッセイは、「ありがとうと言いたい」とか「大丈夫だよって言葉が好き」だとか。正直言って、同級生の扱う題材はどれも良い子ちゃんで虫唾が走った。そんな言葉、言いたいとか微塵も思っていないだろ。建前だけの文章だと、他人の原稿を読んで鼻で笑った。
だから、私はもっと独創的なことを書いてやると意気込み、書き綴ったのが「私は地球人と言いたい」というエッセイだ。

韓国人と日本人のハーフの父と、台湾人の母親を持つ私は、なにかと国籍で困ることがあった。
日本で生まれ育ったのに外国人扱いされること。逆に海外にいっても日本人扱いされてしまうこと。そういう息苦しさから書いたエッセイだ。国境が消えてしまえばいいのに!という願いを言葉にし、書き綴った。

完璧と思った原稿を、先生は「求めていない」と無表情に突き返した

「人類は宇宙人に侵略されなきゃ手を取り合って一つの惑星に住む種族だと認識することができないと思う。だから私は韓国人です、日本人です、ではなく大真面目に地球人と言える日が来て欲しいと思っています。国境の消えた青くて丸い惑星の住人だと、胸をはって言いたいです」

どこからどう考えても最高なエッセイだと思う。完璧だ。独創的で、キャッチーなタイトルでもある。
まさか「日本語は綺麗です」という邪念と思惑が張り付いたこのエッセイコンテストに、「地球人と言いたい」なんて馬鹿げた題材のエッセイが届くなんて。そうすればきっと選考会場は大慌てになるだろう。あるいは、こんなものを書くなんて!天才だ!と賛美されるかもしれない。
そんな未来を妄想して、にやにやしながら意気揚々と先生に見せた。先生はしばらく読み込むと無表情で言い放った。
「こういうエッセイは誰も求めてないよ」
なんだそれ。何も言い返せず立ち尽くしてしまった。ちゃんと授業で習ったことを反映させて、いいエッセイを書いてください、と原稿を突き返された時、絶望した。
その時、確かに火花が散った。この出来事は私の中で「信念」という永遠の炎に着火した。

誰か一人が「お守り」にしてくれる言葉を書けるなら本望だ

なんで当たり障りもない、誰でも書けるようなこと、書かなきゃならんのだ。
そんなもの、誰の救いになるっていうんだ。誰の気持ちに寄り添えるっていうんだ。
大人やお爺さんお婆さんが、「勤勉な若者」というまやかしを愛でるために書かせる「感謝は大切」というエッセイなんてクソ食らえだ。
私のエッセイは、永遠にどこにも属せない寂しさで心からの叫びだった。そんなエッセイの方が、同じ苦しみを抱いている人々に寄り添えたはずだ。
「誰も求めてない」って誰が決めたんだ。なんでわかるんだ。誰も求めてなくても、少なくとも私は求めていた。私はそういう言葉に出会いたかった!

故郷愛や母国愛を唱える大多数の中、どこにも属せない自分の寂しさと不確かさを、私だって誰かに抱きしめてもらいたかった。生身の人間でなくてもいい、活字かなにかでなんでもよかった。ただだれかがその気持ちを認めてくれたら、きっとそれだけで随分息がしやすくなったことだろう。
多くの人に「求められていない言葉」でもいい、誰か一人にでもお守りのように握りしめてもらえる言葉になるなら、それが本望だ。
自分の持っている言葉は、そういう風に使いたい。