深夜の2時を過ぎた頃、夜中なのにうっすらと明るい東京の夜空をベランダに腰掛けながら眺めていた。
向かいのマンションの方がはるかに高いせいで景色が遮られ、ほとんど空は見えなかったけど、すきまから僅かに見える灰色の夜空を見ながら、どうやったらこの世から消えてしまえるのかを考えていた2021年の5月。

心身不調にとどめのお祈りメール。全てがどうでもよくなった

毎日鬱っぽい状態から抜け出せず、食事を取れば原因不明の吐き気と嘔吐に襲われ、夜は毎晩のように悪夢にうなされていた。食事も睡眠もまともにできず、精神的に追い込まれるような毎日だった。
それだけでも辛かったのに、とどめを刺すように、就活で第一志望だった企業から届いたお祈りメール。トイレで吐きながら、いつから、なぜ自分はこんなふうになってしまったんだろうと考えてしまい、悲しくなる。
自分の心と身体に起きる不調と、とどめのお祈りメールにより、もう全てがどうでもよくなった。ひたすら泣いて、そのまま疲れ切って昼間だけど眠りにつく。
これ以上、何も考えたくなかった。

しばらくして目が覚めると外はすっかり暗くなっており、日中何もせずに寝て過ごしたことが罪悪感となってさらに気が重くなる。でも、もうどうでもいいやと無気力なまま、真っ暗な部屋の中で夜を過ごした。
24時を回ったところでもう一度寝ようとしたけれど、昼間さんざん眠ったからか、目が覚めて寝付けない。「まあ、どうせ寝ても悪夢を見るだけだ」と思い、睡眠を諦めてベランダに出てみた。

痛みから解放されたくて、気づけば選択肢に足されていた「死」

梅雨を目前に控えた5月の夜。うっすらと湿り気を含んだ風が、不思議と心地よかったのを覚えている。
ベランダから見える道路は普段は車通りも多く、エンジン音やクラクションなどで騒がしい。けれど、この時間帯だからかタクシーが数台通り過ぎていくだけなので、外は割と静かだった。何も考えず、このままベランダでぼーっとしながら夜の雰囲気を楽しもうかと思ったが、余計にうるさい考えが頭のなかをぐるぐると巡り始めた。

一番の悩みは、「どうしたらこの痛みから解放されるのだろう」だった。
ずっと何かわからないものに押しつぶされそうで苦しくて、気づけば日々の選択の中に「死」も含まれるようになった。何か具体的な自傷行為をすることはなかったものの、「今、車に轢かれないかな」などといったようなことを思ったり、そうなった場面を想像をしてしまうことが増えた。
そんな想像をする度に家族みんなの顔が脳裏によぎってしまい、申し訳なさと罪悪感を感じる。家族に悲しい思いをさせたいわけではないからこそ思いとどまれるけど、今自分がいる地獄から抜け出したい、その一心だった。

私なんて、存在自体なかったことになればいい。そんな思いに

前までの私はどうやって毎日を過ごしていたのか。どうやって普通に生活できていたのか。こうなってしまう前に何か手を打てたのではないか。今すぐにでも家族に助けを求めるべきか。
考えれば考えるほど分からなくなって、余計に辛かった。

「もうこのまま誰にも気付かれず、自分の身体が夜の闇に溶けて消えてしまえばいいのに」
私なんて、存在自体なかったことになればいい。そんな思いでいっぱいだった。

これ以上は考えないようにしようと思い、まとまらない考えや希死念慮を一旦無視して、また空を見上げた。
東京の空はこんなに遠いのか。15階以上ある向かいのマンションの、さらに遥か上に見える灰色の東京の夜空。私の生まれ育った地元の空は黒を何度も何度も重ねて塗ったような空で、ぐんと天井が低く、手を伸ばせば届きそうな距離にあるのに。
ここで死んでも、私は天国まで届かないような気がした。