相次ぐ結婚報告。自分だけがドッと老けていくような感覚に襲われる
眠れない。全く睡魔が襲わない。
疲れていたはずなのに、目を閉じても全く眠れる気配がない。
その日、私は幼稚園から仲の良い女友達からの結婚報告を受けた。
幼少期も青春時代も、多くの時間を共に過ごした大好きな友達。そんな彼女の結婚報告が嬉しくないはずがない。旦那さんとなる彼についても付き合うまでの過程、たまに起きたトラブル、これまでに色々な話を聞いてきた。そろそろ結婚するんだろうと薄々は感じていた。
けれど、祝福する気持ちと懐かしさと、もう昔みたいに気楽には遊べないのかな、と思う気持ちで思わず涙が出てしまう。
恋愛なんて何も分からず初恋にキュンキュンしていたあの日、嫉妬に苦しんだあの日、カラオケでバカみたいに騒いで失恋を乗り越えたあの日、あぁ、もうあの日たちのようなことは本当に遠い過去になってしまったんだな、と自分だけがドッと老けていくような感覚に襲われる。
四捨五入をして30歳。
アラサーとなった私のもとにはこのところ、結婚の報告がかなり増えてきた。
人に言われずとも。結婚をとても悪い意味で意識するようになった
30歳を目前に焦って結婚をした母は、私が幼い頃から「結婚は絶対に焦っちゃダメよ」と口すっぱく言い続け、脳にこれでもかとその言葉を刷り込んだ。
私の両親の夫婦仲は決して良くはなく、彼らの夫婦喧嘩は今でも軽いトラウマとなっている。
だが、母と私は性格も違えば生きてきた時代も違う。母が若い頃に多く存在していた、結婚をせかすような人たちは私の周りにはいないし、多様性の重視される今の時代ではそんな発言は時代遅れすぎる。
だから私は焦ることも妥協婚をすることもないんだろうと思っていた。
うん、思っていた……。
なのにおかしい。
どうも私は近頃、結婚に焦りを感じている。
身をもって体感している。
これがアラサーが持つ魔力だろうか。
結婚への焦りとは、他人から特別何かを言われる訳ではなくても発生するものなのだと、私は初めて知った。我ながら思わず呆れて笑ってしまう。
そして、あぁ、これなんですね、アラサーの結婚への焦りって!と嘘でも自分を元気にさせるしかなかった。
35歳以上の「高齢初産婦」の言葉が現実味を帯びてきた
人に何を言われた訳でもないのに映画や小説、メディアなどの影響なのか、友達との会話の積み重ねか、潜在意識の問題なのか、私は結婚をとても悪い意味で意識するようになってしまった。
これは生物的に早く妊娠して子孫を繁栄させるべきなのだ、と私の雌としての在り方に天から喝でも入れられているのだろうか。
35歳以上の初産婦を高齢初産婦と呼ぶことを頭では理解していたが、アラサーという身になって、その言葉も間近に迫り現実味を帯びてきた。
なぜ年を重ねることはこんなにもネガティブに溢れているのだろう。時間が止まってしまえばいいのに。
うん、私は確実に焦っている。
しかし、そんな自分の感情を正面から認識できたことで、自分を優しくハグしたような気持ちになっている自分もいる。
焦ってなんかいない、と感情に蓋をし強がる必要もなく、寂しさに嘘をつく努力もいらない。
焦っている自分も含め、丸ごと愛するしかないのかもしれない。
自分の感情に気づいてあげられた夜中の出来事。
外はもう明るくなってきた。