彼となら穏やかなままでいられる。この恋で最後にしようと思った

彼と付き合うとき、「もう最後にしよう」と思った。
10年ほど友人だったその彼は、私が以前お付き合いした人の幼なじみでもあった。
告白された時、正直戸惑ったし、随分悩んだけれど、付き合うことにしたのは「結婚して幸せになりたかったから」以外ほかならない。
それまでそれなりにお付き合いしてきたけれど、安らげたことなんてなかった。
だから、飲みつぶれた私が何度同じ話をしても相槌を打ちながら聞いて、さっと水を買って飲ませてくれるような彼とは、穏やかなままでいられると思っていた。いたのだ。

私はその時、大好きだったアナウンサーの仕事の契約を切られたばかりだった。
そして、上司の度重なるパワハラで、体調は崩し切っていた。
今思えば、弱っていたのもあったかもしれない。
初めは本当に穏やかにいられた。
数ヶ月経っても仕事が決まらない私に、彼はイライラを募らせるようになった。
私も私で、イライラしていたかもしれない。次第に衝突するようになった。
夢を捨てきれない私と、夢を捨て現実に生きてほしい彼。

「夢」は私の生きている理由。「現実を見ろ」と言う彼に言い返した

飲みつぶれた私に水を持たせて飲むように促して、電車がなくなり、車がひっきりなしに走る道をふらふらしながら歩く私をさりげなく歩道側に誘導してくれたし、泣きじゃくりながら電話した日も何時間もうんうんとうなづいてくれた彼のことだ。
念願だった職場で上司のパワハラでボロボロになった私を知っていたから、余計に、「なんで」と思ったのかもしれない。
けれど、私にとって「夢」は生きている理由だった。支えだった。

何度目の喧嘩をへたときだったか、あるとき彼に「何回も落ちているし、もう、24だよ?アナウンサーになれるわけない。いい加減、現実見なよ」と言われた。
いつもの私だったら「そうだよね、ごめんね」と相手を立てるように謝り、ゆずっただろう。
でも、私にとって、「夢」は生きている理由だったから、分かっていて欲しかった。一番身近なはずの「彼氏」である彼にはだけは。
だから、言い返した。
「あんまりだよ。あなたがそんなこと言われたらどんな気持ちになるの?」
その日の喧嘩は終わらなかった。
いったんは義務感に駆られて謝ったけれど、尾を引いた。
どちらからともなく、相手に心配かけないように送っていた「今、どこにいるよ」っていうラインもなくなった。

ふらふら歩く私を気遣ってくれる彼は、もうはいなかった

まだ2人が仲良かった頃に予約した旅先で、私は振られた。
「もう行かなくてもいいだろう」と私は言ったけれど、彼は最後だからと数ヶ月前に約束した水族館に私を連れ出した。

水族館は、私の数少ない好きなスポットだ。
同じ種でも顔つきや性格の違いを垣間見れるから。
人間社会も同じだと思える。
自分もはみ出しているんじゃなく、みんなそれぞれ違う個性があるだけなのだと安心できるからだろうか。
ふらふら歩く私を気遣ってくれた彼は、そこにはいなかった。
たくさんのカップルがゆっくり歩いているけれど、彼は人をかき分け、後ろにいる私を振り返らずに歩いていった。

その日はなぜか、大好きな水槽いっぱいに泳ぐ色とりどりの個性の違う魚たちが気持ち悪く見えた。
生理痛を改善するためにと、薬剤師の卵の彼が服用を薦めたピル。
病院を受診してもらった薬が合わずに毎日吐き気がしていて、フラフラしていたからだろうか。
その日もそんな調子で、エスカレーターで倒れかけた。
咄嗟に前にいる彼の腕を掴んだけれど、まるで汚いものにでも触れられたみたいにすごい勢いで振り払われた。
半年で、私の「最後」の恋は終わった。
気まずいまま途中まで一緒に帰っていたけれど、彼と別れた帰り際、何の涙かとめどなく溢れてきて大号泣していた。
その時、「真剣に向き合っていたんだな」と気づいた。

時の流れが人を変えるのか、私が気づかなかっただけなのか

付き合っている間、あんなにモテなかったのに、2人組の片割れの知らない男性に「お姉さん一緒に飲まない?」と言われた。
「お姉さん絶対彼氏いるぜ、やめなよ」と片割れが言ってた。
「つい先程、私は彼氏がいなくなったからフリーです」と言いかけてやめた。
行きずりの恋なんかやさぐれにもほどがあるし、行き着く先はきっとネオン街で、それは、一夜で終わる恋だから。
それから、彼との恋の終わりを地元の友達に笑いながら聞かれて、地元のほとんどの人と縁を切った。
共に高校時代を楽しく過ごしたけれど、時の流れが人を変えるのか、あるいは、私が気づかなかっただけなのか。
どちらにしてももういいやと、私は感情を閉ざした。

5年の時を経て、私は地元から離れた街で、夢とは形を変えてしまったが、リポーターとして働いている。
伝え手としてはまだまだで、怒られてばかりいる毎日だ。
そんな毎日だけど、かねてから興味があった着付けを習い始めた。
仕事の帰り道、ふと、目の前にあったお店に入って話したことがきっかけで、通っているうちに教えてもらえることになった。
その方は今まで出会ったどんな方より、見た目だけでなく、言葉の細部に渡り、品があって美しい。
それでいて、ひけらかさず奥ゆかしい。
そんな人に出会えたのは、やっぱりあの時ゆずらなかったからだと思う。