私のやる気がでないとき、私は誰かと連絡を取る。
誰かって誰?親?友達?上司?誰もが普段関わりのある頼れる人を想像しただろう。しかし私はそうではない。
やる気が出ないとき、頼るのは私の助けを必要としている誰か
私がやる気が出ないとき、頼るのは私の助けを必要としている誰かである。その誰かは時々変わるわけだが、オンラインの時もオフラインの時も、時々顔の知らない掲示板の誰かの時もある。
私は人の頼りになることが好きだ。そして誰かが私を頼り、私が助けとなったとき、私はそこに生きがいを感じている。
ある日の私は、何のやる気もせず、ただTwitterを眺めていた。すると一人の大学の後輩が生きるのに疲れてしまったのか、そんな気配を感じさせるツイートをしていた。
私は真っ先に彼の所に連絡を入れた。DMは知っていたけど、ラインすら知らなかった彼。そもそも2回しか会ったことがない。特別親しいわけではないけれど、あのとき一緒に同窓会費を払った大切な後輩が、最悪な選択をしてしまうのは嫌だ。
ラインを交換したものの電話の電波が悪いから、直ちに携帯の電話番号を聞いて、そのままかけ、数年ぶりに会話をした。
止まらない会話。それでも心配で、一週間後にまた電話した
2時間くらい話しただろうか。
自分が販売員に向いていないと思ったこと、有休を消化して最終給与をもらって退職し、札幌を離れて九州の実家に帰ること、無職になる自分に絶望したこと、自殺志望者の掲示板を見て首つりを決意しロープを用意したこと、心の支えとなってくれる彼女もいないのに、生きている意味が分からなくなってしまったこと……。
思っていることは何でも話していいよと言ったら話は止まらず、気づいたら2時間が経過していた。それだけ多くのことを抱え込んでしまっているのに、私はここまで気づくことはなかったのだなぁと、少し後ろめたさを感じてしまった。
電話の後、「今日は話を聞いてくれてありがとう。すっきりした。本当に感謝している」というラインをもらったが、私は長年の経験から彼がまだ危うい状況から脱出していないことを察した。そこで、「何をしていてもいいから、つらいならずっと寝ていてもいいから、最悪の選択はしないようにしよう」という約束をして、一週間後にまた電話をかけた。
一時間を下回らなかった電話はないだろう。一週間後、また一週間後と私たちは会話を続けた。会話を続けるたびに彼の中で進展が見られ、私のアドバイスの通りに事を着々と進めていた。
傷病が認められると失業保険が長く貰えること、ハローワークでは就労相談ができること、公務員は民間と較べて安定していること、環境の変化が嫌なら地方よりも国家公務員の方が異動先での職務内容に変化が見られにくいこと。
誰かの力になれたとき、私にもやる気と生きる希望が芽生える
これまでの経験から彼に見合った選択を用意し、電話越しではあるが情報を提供した。そして彼も無事休業の手続きを取得することができた。
そんなやりとりをしているうちに彼は27歳の誕生日を迎え、「生かしてくれた方、ありがとう」と、誕生日の日にツイートした。確かに直接は言いづらいよなぁ、と思いながら誰のことを言っているのかよく分かった。
それから数ヶ月が経ち、彼は実家の家業を継ぐことが決まり、心から愛する彼女ができた。元々病みやすいタイプだから今でも時々連絡はしているが、当初抱いていた希死念慮はもうない。私は一つの尊い命を救うことができた。今ようやく肩の荷が下りたところだ。
しかし、当の私もよく鬱のような症状に陥る。
社会人になったら成し遂げたいと思った社会貢献ができているだろうか。そう自答しはよく負のループに陥り、土日は寝てしまうことが多い。そうした時、私は掲示板や知人のSNSで生きづらさを抱えてしまっている人を探しては、その人に貢献できる何かをしている。
誰かの力になれたとき、私自身にもやる気と生きる希望が芽生えるからだ。