自分の生き方や働く目的を明確にして、就活の軸を定めたい

私は絶賛、就活中の大学3年生。今一番聞かれて困ることは、「学生時代に力を入れたこと」。それは、今まで何となく生きていたからだ。

講義はテストの時だけ気合いを入れて、それ以外は何となく受けた。バイトも家から自転車で20分かかるちょっと遠い場所だけれど、何となく続けた。自転車も、漕ぐとペダルが空回りして思うように進まない中古品だけれど、何となく乗り続けた。
この大学2年間の中で明確な理由を持ったことなどなく、力を入れたことなんてものもなかった。

でも、3年生の今、やっと明確な理由を持ってやりたいと思うものに出会った。それは、生き方を考え、自分の望む人生を実現しようとするプログラムだった。私はそれを通じて、職業を決める前に「自分の生き方」や「働く目的」を明確にして就活の軸を定めたいと思った。
受講料は学生の私にとって決して安くはないが、自分の貯蓄で何とか賄おうと思った。お金が絡む将来に関わる大きな選択だったため、一応父に話したが、そこからが地獄だった。 

何度も二人で話し合ったが反対された。父は「生き方」とか、結果が得られるか分からないものに学生の貴重なお金や時間を費やすのはどうか、という考えだった。
話し合いは平行線のまま進んだ。お互いに自分の気持ちを伝え合っている場なのに、私の思いも父の思いも、誰の思いも誰の心にも届いていない。とてもむなしい空間。お互いに相手のことを理解しようと必死なのだけれど、決して相手を否定しようとしない姿勢ではあるのだけれど、決して受け入れもしない。互いに自分の考えを譲ることはなかった。 

しかし、終盤で父が口にした言葉で、私の気持ちは少し動いた。
それは「あなたに足りないものなんてないよ」という言葉。20年間、私が心から欲しかった言葉。

自分の中にある「譲れないもの」が何か、問い続けていく

小さい頃から両親に褒められることが嬉しくて、勉強や部活を必死に頑張ってきた。けれど、頑張れば頑張るほど、頑張っていない自分、何もしていない元の自分が不出来に思えて、辛かった。常に物足りなさを感じて、何かやっていないと怖かった。
プログラムを申し込んだきっかけも、働く目的とか、これから社会人になる「自分に足りないものを得るため」だった。何か、得体の知れない焦燥感に駆られて申し込みを決めていた。 

だから、その申込理由が絶対的存在である親によって、ある意味否定されたのだ。
端から見れば、申し込みを諦めさせるための言葉と捉えられる。現に私も頭の片隅ではそう思っている。けれど、話し合いで散々反対された中でのその言葉は、救いでもあった。だから、少し嬉しかった。
けれど悲しかった。このタイミングで発せられたことで、父の言葉をそのままの意味で受け取れないからだ。
そして悔しかった。その言葉の裏にある意図が透けて見えていても、その言葉にすがって嬉しくなってしまい、なんだかんだ父の意に沿う行動をとろうとしている自分がいると分かったから。 

結局、私はその言葉がきっかけで申し込みを辞めた。 

この決断を全く後悔していないと言ったら嘘になる。自分の「足りないものを得たい」という思いを譲ってしまったとも言えるからだ。
でも、この出来事をきっかけに、私は常に自分に問いかけることを心がけている。
沢山の人の意見や沢山の情報に振り回されたり、影響されたりすることが沢山あるかもしれない。でも、「それを踏まえて私はどうしたいか」を常に問い続けること、自分の中の譲れないものを見いだすことを忘れないようにしている。