正義と悪の境界線はいつも曖昧で、当事者でなければわからない
私の家にはテレビがないので、情報を得る手段はスマホのみ。
ラインニュースを見て、日々社会で起こったことを最低限集めている。
最近ラインニュースランキング1位を独占し続けていた記事。
「ロシアがウクライナに侵攻 最新状況」
何が起こったのかはわかる。
でも信じられなかった。
戦争とか侵略って言葉は教科書の中だけのことで、現実に起こることだと思えなかった。
ついこの間、読んだばかりの戦争がテーマの小説を思い出す。
最終的に主人公は敵側の思想に傾いていく。
正義とは?悪とは?
境界線はいつも曖昧だ。誰かが決められるものでもないはず。本当は、そのはず。
戦争について考える。
お互いに譲れないものがあって、お互いに信念があるから戦うんだろう。
色々なものを犠牲にして。
人間関係でも争いは多々ある。
当事者でなければその気持ちはわからない。
「正しい」という世論を叩きつけるニュース。この流れが怖い
だけどニュースは勝手で、「この情報が正しい!」と世論みたいなものを叩きつけてくる。
ロシアが悪い。ウクライナがかわいそう。ロシアに罰を、罰を、罰を。
私はこの流れが結構怖い。
何がいいか悪いかがニュースによって決まってしまう感じ。
もちろん戦争がいいものだとは到底思えない。
人がたくさん亡くなってしまうのも、たくさんの人が悲しい想いをするのも、私には想像もつかないくらい、辛くて苦しいものだと思う。
ただ、じゃあ侵攻を始めたロシアの全部が悪い、というのは正しいのかなとも思ってしまう。
ロシアと関連するもの全てが憎まれるような風潮は正しいのかなと思ってしまう。
例えばロシア人の友達がいたとして。
彼ないし彼女に向けられる視線は、こんな出来事が無かった時と本当に変わらないのか。
何かの偏見やイメージが自然とついてしまうんじゃないのか。
コロナが流行り始めた時に中国人に向けられた視線と同じように。
不祥事が起きた会社の社員に向けられる視線と同じように。
周りが勝手に固めたイメージが自分の視界を曇らせる。
意識してようとしてまいと、勝手に偏見の眼鏡がかかる。
誰かを、何かを責めるようなニュースを見るたびにこんなことを考える。
誰かの正義を笠に着るのではなく、自分の考え感じたことをまず大事に
このニュースも今はランキング1位でなくなることが増えてきた。
人の関心がなくなってきているのか、追加の事件がなくなってきているのか。
毎日色々な出来事があるからしょうがない。
けれど、渦中の人たちにとっては「今、この瞬間」絶え間なく起こっているはずで。
想像すること、考えることしかできない自分がもどかしい。
何か行動しようとしない自分に嫌気がさす。
もちろん時間の流れと共に「なかったこと」にしていく社会にも。
ニュースをそのまま信じて形成されていく世論にも。
情報収集は簡単にできるようになった。
スマホで検索すれば、何千、何万の情報が手に入る。
ただそれをそのまま信じるのではなくて、誰かの信じる正義を笠に着るのではなくて、自分の頭で考えて自分が感じたことをまず大事にする。
何がいい、悪いは誰かが決められるものではない。その境界線は曖昧でよく変化する。
絶対の正解なんてない。
ニュースを見るとよく思う。