大学に入学をするまで、私はごく普通の家庭で、ごく普通に育ってきた人間だと思っていた。人並みに勉強して、遊んで、生きてきたと思ってきた。
しかし、大学生になって、それはとんだ思い違いだと分かった。

気楽にできる派遣アルバイトは、裏を返せば生活の保証がない

大学生になって、お小遣い稼ぎ程度にはじめた派遣アルバイト。どんな現場も過酷だ。
夏は焼かれてしまいそうな炎天下の中で作業をし、冬は凍傷になるんじゃないかといった寒さの中であくせくと動き回る。
私は、丸一日予定のない、たまの日に派遣スタッフとしてアルバイトをする程度だが、私の想像をはるかに上回る人数の人々が、ここで生活費を稼ぐために必死に働いている。

小遣い稼ぎをしたい大学生にとっては、派遣アルバイトは気楽にできる良いアルバイトだ。
集合時間は大抵早朝だけれど、昼ご飯や夜ご飯が支給される場合が多いし、日雇いなので仕事に対する責任感をほとんど感じることがない。働きたくない時期は仕事に入る必要がないし、働きたくなったら入ればいい。
しかしこれは裏を返せば、派遣アルバイトは毎日8時間を優に超える時間を働かなければ生活ができないということ、派遣会社は一人ひとりの生活なんて一切保証しないということだ。
そんな不安定な環境下で、文字通り生きるために数え切れないほどの人が働いている。

死人が出ないのが不思議な現場が、当然のように存在する

派遣アルバイトが重宝される現場の一つに、コンサートがある。
よくバンドやアイドルのコンサートはニュースになるし、最近はYouTubeでコンサートのバックステージの様子をアップしているアーティストは少なくないので、そこにいるスタッフが垣間見られる。

しかし、本当の現場はそこには映されていない。35度を超えるような高温の日でも、クーラーはおろか扇風機すらない現場で、マスクにフェイスシールドを付けて働いている人がたくさんいるのだ。
冬場は多少ましだけれど、寒空の下、作業をするというのは普通にキツい。人がやりたくないことをするから、お給料がもらえるという前提があるにしても、キツイものはキツい。死人が出ないのが不思議な現場が当然のように存在する。

私立の中高一貫校で裕福な家庭の同級生と過ごしていた私は、こういった世界を一切知らなかった。学校での穏やかな生活が世間との大きなギャップを生んでいたことに、大学に入学するまで全く気づいていなかった。
ディズニーランドは毎年3、4回行くし、海外も年1回行くのが当たり前、ルイヴィトンのマフラーを身につけて登校してくるクラスメイトもいたから、世の中に奨学金をもらって働きながら大学生活を送らなければいけない人がいることを、本当に知らなかった。
それに派遣アルバイトをしていなかったら、フリーターとしてアルバイトを掛け持ちしなければ生活を営めない人がいることに気づけなかった。

人が置かれている状況はさまざま。それを忘れないように

私の住む地域は、ホワイトカラーの職場で働く人が多く、子供を塾に通わせる家庭が多い。駅前には塾が立ち並び、それは塾銀座と呼ばれる。夜10時を過ぎても、駅の改札を通り過ぎる小学生を目にするような地域だ。
当人たちにとっては苦しい塾での勉強も、恵まれているからこそできることなのだ。私はそれに気がつくのが遅かった。大学生になってようやく、資本主義社会を知った。

ただ知ったからといって、私にできることは何もなかった。強いて言うならば、他人の発言に「大変だよね」と共感することくらいだった。
私は私で、彼らは彼らで人生を歩んでいくしかない。けれど、いろいろな状況下に置かれている人がいるということを忘れないだけで、傲慢にならない(なれない)と思う。
それの何が知らなかった時よりマシなのか分からないけれど、他者を知ることは自分を知ることにつながる。私は意図せず人を傷つけることを減らすために、多分これからも何かを知っていくんだと思う。