温かいこたつに入りながら、朝食を食べながら、ボケーっとしながら何気なくつけたテレビで報道されていた、戦争。

戦争?
戦争って、このご時世にも起きるのか。

最初はそう思っていた。
戦争など、これまで身近だったことがなかった。
日本の戦時中の話を聞いたことはたくさんあるが、自分にとってはすべて過去の話だった。
それが、今、たった今、起きている。

いつ死ぬかわからない生活の一方、気楽に朝食を食べている私

いつ死ぬかわからない。
家族がなんの理由もなく殺される。
ある時突然、武器を持たされて、人を殺せと命じられる。

そんな生活、恐れたことがあっただろうか?
ああ、私は平和ボケしてるんだ。
手が震えた。
おそらく人の遺体であろう何かにかかったモザイク。
灰色の空っぽな町を平然と通り過ぎる戦車。
なんで私は、こんなところで、気楽に朝食なんて食べているのだろう。

ニュース番組は、戦争の報道を終えると、すぐに別の話題に切り替わった。
今、こんなことがネットでバズってるとか、芸能人の舞台挨拶とか、そういう話題だった。
モヤモヤした。
たった今、人が命を落としているのに。
国と国がたった今、争っているのに。
涙が出てきた。
無力な自分、無関心な人たち、平和ボケした日本。
何を責めても収まるはずはない。
だって、私も、テレビ番組も、日本の平和な社会も、こればっかりはどうにもできないから。

戦争を知れば知るほど無力で情けなくなる。自分ってちっぽけだ

なんで私は何もできないんだろう。
現地に行けるわけでもない。
行ったところで何ができる?
寄付なら私にもできるだろうか。
でも、そのお金は本当に支援に使われるの?
そもそも私の微々たるお金なんて、なんの役にも立たないよね。
お金持ちならもっと状況が変わったのかな。
いや、お金で全部解決できる状況ではない。
私がこんなのうのうと生きていて申し訳ない。
じゃあ私も不幸になればいいの?
それは違う。
今できることってなんだろう。
まずは今の戦争の状況を知らなきゃ。
知れば知るほど、自分が無力で情けなくなる。
自分ってちっぽけだな。
結局何もできないんだな。

永遠にこんなことを考えた。
私の中でぐるぐるといろんな感情が渦巻いただけで、外の状況は何も変わらなかった。
こんな感情は初めてだった。
ただ、祈るしかできないのだと、悟った瞬間だった。

「神頼み」という言葉、行為は好きではなかった。
特定の神様や宗教への強い信仰心もないのに、困ったときだけ他力本願な感じが、気に食わなかった。
神社のお賽銭も、その前で手を合わせてじーっと祈るのも苦手だった。
私も、自分がひねくれてることは分かっている。
それでも、それくらい自力でがんばれよって、他人にも自分にも思ってしまう自分がいた。

「神様、お願いします」。無力な私は祈ることしかできない

「神様、お願いします」と心の中でつぶやいていた。
この戦争が早く終わりますように、と。
自分が無力だと気づいたとき、祈ることしかできなかった。

これまで、自分は幸せ者だったのだ。
自力で解決できない問題、あるいは逃げられない問題には直面したことがなかった。
個人がどれだけ悩んでも、たとえ多くの人が悩んで行動しても、解決できない問題が山積みである理由を、身をもって感じた気がした。

今回のような世界規模で報道される戦争だけでなく、各地の紛争、宗教や思想の対立、暴力やいじめなど、挙げればきりがない。
これらはすべて、人為的に起きる問題だ。人と人との間で起きる問題だ。
人が起こしたなら、人が解決できるはず――。
そう思っても、そう簡単にはいかない。それぞれの正義、守らなければいけないものは異なるから。
人と人とが、それらの違いを許し合い、認め合いながら、時間をかけて解決していかなければならないのだ。
そこに犠牲が生まれてしまうのは、必然なのかもしれない。
だから、ひとりひとりが無力ながらに、ただ祈るのだ。
早く終わりますように、少しでも多くの人が助かりますように、と。