とある中小企業に雇われ働いていたとき、理不尽に思うことが山ほどあった。
それらは積み重なり、私は働く意欲はおろか、生きる希望も見えなくなった。日々を虚無に過ごすのみ。
その会社に採用された最初の1年は、やる気に満ち溢れていた。第二新卒でろくな社会経験もない私を、当時未経験だった事務職で採ってもらえたからだ。
事務職は応募資格に実務経験を求められるものが多い。がんばって働こう、と若い私は意気込んでいた。

ここはまだ昭和か、と叫びたくなる程、やたらと煩雑で紙が必要な業務に追われ、残業は当然のこと。ちなみにサービスである。しかし私は、初めての職種だったため、それが当たり前のものと思っていた。
それでも素人目に、明らかに意味のない作業を上長へ伝え、改善していった。同じ内容を複数箇所に書かなければならないとか、無駄にコピーを取って読まれもしない資料をファイルするとか、そんな程度のものを無くしただけだ。
それでも、何十年も同じことを繰り返すだけだった会社にとって、驚くべきことだったらしい。

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2年目は、やる気が小さくなっていった。あのくらいの小さな改善で、会社にとって有用であると、どうやら社長までもが評価してしまったらしい。事務職以外の仕事が、やる人がいないからという体で私に振られ始めた。

やる人がいない、というのもいくつかパターンがある。
本当にいないから、仕方なく上司がやっていたこと。いるけどそれが、パソコンを起動することすらできない人が手書きでやっていて著しく時間がかかる、というような場合。
仕事は早い段階でパンクした。見かねたパートさんが手伝ってくれてどうにか期日に間に合う、という状態だった。
私は上司に助けを求めた。
「仕事が多すぎて、回せていません」
明確に覚えていないが、新しい仕事に慣れれば時間ができる、昔よりパソコンで楽になったからできる、何回伝えてもそういう内容の返答ばかりで、いつしか諦めてしまった。やる気も、もうない。

3年目は虚ろに業務をこなした。ミスをしてその尻拭いで更に仕事が増えないようにだけ気をつけた。
転機は、妊娠したこと。始めは、育休を1年取り、戻ってくるつもりだった。
なくなったやる気が、むしろマイナスに転じたのはここからだった。

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私がいない間、仕事をする人が必要だ。会社は採用募集をかけたが、なかなか集まらない。何名か採用に至り入社しても、長くて1ヶ月で退職していく。
薄給、業務量が多い、サービス残業。人が残る要素がない。
運悪く、ちょうど社内システムに大幅な変更があった。今まで使っていた昔の事務の人が作った手順書が紙くずとなり、新しいシステムに対応したものを私が作成しなければならなくなった。
仕事の多さに吐き気を覚えながら早出残業。ふとした瞬間、涙が出そうになる、息苦しくなる。育っている腹の子のせいではなく、精神的に追い詰められてそうなっていた。
どうにか入社した2人に引き継ぎをしながら、手順書を作り続け、踏ん張っていた。

そんな中、上司は言った。
「別の人に作ってもらった資料に不備があったみたいで、作り直してくれない?今日中に」
何を言われたのか、信じられなかった。即、本当に無理ですとお伝えした。抱えている仕事を説明しても、上司はなかなか諦めてくれなかった。
しかし、見かねた更に上の人が止めてくれた。その子、本当に仕事詰まってて無理だよ、と。
退職を決めた。やる気は恐怖に変わっていた。この会社にいる限り、私は便利道具として使われ続ける。

子どもが幼稚園に入ったら、働こうかと考えている。その時は近づいている。でも、求人を検索したり、履歴書を作ったり、具体的なことをする気が出ない。
どこかの会社に属して、また同じように扱われたら。足はすくんだままだが、過去と向き合って少しずつ消化している最中である。