友人が亡くなった。
冬の入り口だった。
「寒なってきたし、明後日の休みにコタツ出すわ、みんなで鍋パでもしようや」と声をかけた、その翌日早朝のことだった。
◎ ◎
彼が亡くなったと警察から聞いた日も、私の家を溜まり場としていた彼以外のいつものメンバーは、やっぱりいつものように私の家に集まってきて、約束通り、私が実家から持ってきた、一人暮らしには大きすぎるコタツにみんなで黙って足を突っ込んだ。
長い沈黙。誰一人として口を開けなかった。コタツ布団は買ったばかりの新品で、彼がいつも座っていた場所にだけ誰もいないことが、悲しくてつらくて、寂しくて、会いたくて、足だけが温かくて、みんなで夜通し朝まで泣いた。
彼は会社の同僚で、これまで縁もゆかりもなかった土地で出会い、励ましあってきた友人の一人だった。自分の仕事はもちろんのこと、周りへのフォローもピカイチの男で、私が仕事で失敗をして一人泣いて帰った日、ビニール袋いっぱいのチロルチョコを持って、「好き言うとったから、コンビニの棚ん中全部買うてきたで」と笑いながら、自分の仕事終わりに私の家まで来てくれたことは忘れられない。
◎ ◎
努力する姿は決して人に見せなかった。完璧に見えたけど、同僚たちと自宅に突撃した時は、あまりの部屋の汚さにみんなで大笑いした。
「〜さん、おはようございます」と、挨拶の頭に必ず相手の名前を呼ぶような奴だった。周囲の誰からも愛されていた。
あんなに悲しくて、あんなに鮮明に、苦しいほど何度も頭の中で響いた彼の声は、今ではもう頭の中に薄い膜が張ったかのように、嘘のように聞こえなくなってしまった。彼が書いた文字を見ることさえつらくて、涙が溢れたのに、いまでは当時の仕事の引き継ぎ書に残る彼の几帳面そうな字を見ると、懐かしいような気持ちになるのだ。
仕事で失敗して泣いて帰ったあの日。
ビニール袋いっぱいのチロルチョコを玄関先で受け取りながら、「もう無理かも。明日どんな顔で出社したらいいか分からん」と弱音を吐いた私に「それは日にち薬やなぁ」と彼は言った。どんなことでも、時間が全て解決してくれる、という関西の言葉だ。
◎ ◎
彼の言った通り、「日にち薬」は、私の中の悲しさや、つらさや、苦しさの全てを「思い出」に変えつつある。
一緒にお昼ご飯を食べたことや、休みの日にみんなでドライブに行ったこと、毎日のように私の家に集まっては、飲み明かしたあの日々。楽しかった記憶から、肝心の彼の表情や声だけが、時が経つにつれてどんどん薄く、遠くなっていくのが分かる。それでも、そんな彼との「思い出」は、私の中にこれからもずっと残り続けるのだろう。
あの頃のいつものメンバーは、今はもう全国に散り散りになってしまった。それでも毎年、彼とサヨナラした季節が近づくと、誰からともなく連絡を取り合って、お互いのパソコンの画面を繋ぎ合って、今はもういない彼を想って献杯するのだ。
友人が亡くなった。
けれど、「思い出」はいつまでもなくならない。