私は今やる気がない。なので、ベットに入りながらこのエッセイを書いている。
「やる気がでない」というのは、やるべきことがあるのに、自分のコントロールが効かない、自分が自分の思い通りに動かないというようなニュアンスを含んでいるように思う。
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私はこのやる気問題にはずっと悩まされてきた。
大学受験の時、大学生になってからもずっとだ。
学校や仕事が終わると、ベットに直行、土日も全くベットから起き上がることができない。
何か人との約束があれば起き上がることができるが、勉強する、本を読むなど、自分との約束が守れない。
「自分はなんて怠惰なんだ」と自分を責め続ける日々。
でもある日、気づいたことがあった。
とにかく、やる気がない怠惰な私が悪いのではなく、エネルギーが物理的に足りていないことが問題なのではないかと。
浪人時代を振り返ると、歩くためのリハビリと並行しながら勉強をしており、高校時代に不登校をしていたため自律神経が狂っていたことから体調も悪かった。浪人生、という所属意識のない、勉強だけに全てを注がなければいけない状態で精神的に不安定。机に向かっても目の前のテキストに手が伸びない。
大学時代は、朝から晩まで外にいて、授業、グループワーク、プレゼンの準備、それに加えて女優になるためのレッスンもあり、ひどい時は1分刻みのスケジュールで走り回った。
結果、土日も休みなく、3ヶ月くらい経つと、パタリと熱を出して倒れる、というループにはまっていた。
精神論でどうにかなるなら苦労はしない。
エネルギーを溜めたり、体調を整えることがまず必要で、だからこそ「やる気」は出るのだと気づいた。
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整体やカウンセリングを経て、体調やメンタルが改善してくると、少しずつ動けるようになっていったが、それでも、自分ではどこまでエネルギーを貯めたらやるべきで、どこからが怠惰なのか、必要な休息と怠惰の違い、線引きが分からない。
社会人になってからも、少し休養は取るようになったものの、平日の夜や休日に仕事の勉強や読書など生産的な活動ができないことを「怠惰」だと心のどこかで思っていた。
つい先日も、あるコンテストへの応募について、なかなか取り組めないでいた。
そのコンテストは自分のキャリアにとって、とても重要なコンテストだった。それでも「やる気がでなかった」のだ。
その時たまたま、母にふいにその話をした。その時、母は「え、やらなくていいじゃん」とものすごく軽いテンションで言い放った。
その瞬間、もの凄く心が軽くなった。
そうなのだ。世の中にやらなければいけないことなんてないのだ。
仕事だって、自分が休んでも代わりはいくらでもいる。家事だって多少遅れたとて問題は全くない。
世の中にやらなければいけないことなんてそこまでない。
となると、全部が全部、自分がやりたくてやっているはずなのだ。
そう思えた途端に、コンテストも楽しみになり、仕事も後手後手になるとあまり楽しくないことに気づいた。
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つまり、怠惰の発生原因は、「やらされている」という意識だった。
怠惰と必要な休息の違いを考えるまでもなく、自分が気持ちよく楽しくなるための行動をすれば良いだけなのだ。
そうすると、特に「やる気」とはっきり自覚できるような、アドレナリンが出るような感覚はなくても、ふわっと湧いた興味に気づき、それに従って行動できるようになった。
行動したいと思わなければ、しなくて良いのだ。
なので今、やる気がなくても、このエッセイを書けている。
重要なことは、「怠惰だ」と自分を責めないことと「やらなければならないこと」なんてこの世にないと自覚することだ。
自分を責めることにエネルギーを使うのではなく、心と身体の調子を整え、自然に湧く興味を捉えて、それに身を任せれば良い。
「やる気を出さないやつが悪い」そんな意識が多くの人の中にあるような気がする。
私もかつてはそのうちの一人だった。
でも、今もしやる気が出ないで苦しんでいる人がいるとしたら、私は言いたい。
やる気がでないのは、決してあなたのせいではないのだと。