20歳を過ぎたあたりに、私を東京へ行くきっかけを作ってくれた人に出会った。
当時その人は30歳そこらの学芸員で、私は大学3年生で、大人という存在に憧れを抱いている時期だ。
友達となんとなく入った立ち飲み屋でその人と出会い、週一で愛知に来るというので折角知り合ったわけだしと思い、その来ている日の夜開けとくのでご飯に行きましょうと誘った。彼は二つ返事で決めてくれ、会う回数が増える毎に互いに惹かれ、お付き合いをする事になった。
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彼は今までお付き合いしてきたタイプとは何か違うと直感で感じていたが、何かとは未だにわからない。
ある時、彼が「東京においでよ、家も一緒に住もう」と言い、私は二つ返事で返した。大学には休学届けを出し、気分は留学生。東京なんて修学旅行以来だったから、どこか緊張しつつも新しい道が開けそうだとワクワクしていた。
東京での彼との生活はすぐに馴染み、互いのやりたいことを尊重し支え合っていた。このまま結婚できれば万々歳なのに、と思いながら、彼は大学をこっちに移さないかと提案してきた。
これもまた私は二つ返事で再受験という形を取った。そこから互いの存在がぼやけていった。
私は私で高校生の範囲をまた新たに頭に入れる作業に、彼は仕事がバタつき始め、朝と夜になんとなく家にいる人という認識に変わっていった。彼からは人生や、今生活している上で大切な物事の考え方を逐一教わっていたので、私は地元にいた頃の私ではなくなっていった。
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今の私はこの人を大切にできないと確信したのは、センター試験間近のとある日の夜。
家の空気がいつもより重く沈んでいた。コロナウイルスが流行り出し、彼の仕事はいつも以上に忙しそうで私は気を張っていた。その空気下に耐えられなくなり、家を出て一人公園に座り、ふと考えた。
この人にとって、私はいない方が楽なのではないか、と。
遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。帰ろう」と普通に会話をし、家に着く。
不意に「ここ出るよ、私」と出た。彼は「うん、そっか」。
この一言で、私が家を出たらもう会うことはないだろうと確信した。
恋愛というのは実に不確かで儚いものだなぁと感傷に浸る余地もなく、そこからは一週間足らずで家を決め、引っ越した。受験は失敗し、新天地でひとり特にやりたいこともなく過ごしていた。
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学芸員の彼はもういない。急にとある人を思い出し、なんとなく「お元気ですか?」とLINEを送った。その人からはすぐ返信が来て、近いうちにご飯を食べようという流れになった。
そこからはその人と毎週会うようになり、気がつけば「私の家に住んだら?」と言えるような仲に。そこから新しい人との生活が始まった。
特に考えずに始まった同棲生活。この人とはずっと一緒にいるのだろうとぼんやり頭に思いながら、流れるように月日が経った。今では私の夫である。
なんとなく東京に来てみて、なんとなく一緒に住み、なんとなく別れ、なんとなく別の人と結婚する。
もしかしたら人生は流れみたいなのが決まっていて、その流れに乗れるか否かで人生が決まるのではないかと最近思う。