「あぁ、この楽しかったひとときを、何があっても忘れたくないなぁ」
まだ推しという言葉がメジャーになる前から、わたしはオタクだった。
オタクを名乗れるほど推しについて詳しいかと問われると、正直自信はない。
ただ、確かに好き。それだけは胸を張れる。

誰かを推し始めると、長いこと好きでい続けるケースが多い。
一途かどうかは、今回は端に寄せておこう。
16年、14年、10年、ある3組の芸人さんのファン歴である。
わたしは小さい頃からお笑いが好きだ。
彼らにハートを射貫かれたタイミングは、いずれもココロが危うい時期。
人生の恩人と言っても過言ではないのだ。

笑うという行為は、心の養分だ。
これはわたしの名言風な標語。
医療の分野でも笑いを取り入れていると聞いたことがある。
この標語もある意味、的を射ているのかもしれない。

高校生のころは勉強そっちのけでお笑いライブに通っていた。
卒業後も、そして今に至っても。
現在は"通う"ほどではないが、生活の一部であることに変わりない。
出待ちをして、差し入れやお手紙を渡し、写真を撮っていただく。
若さの勢いに任せてそんなこともしていた。

◎          ◎

ずっとお笑い好きでやってきたわたしに、今度は別ジャンルの救世主が現れた。
それは11年前。
白黒と化したわたしの世界に色を与えてくれた。

お笑いライブしか知らなかったわたしに、ライブハウスという場所を教えてくれた。
音楽に身を任せ、踊ることを教えてくれた。
自分には縁遠いと思っていたフェスにも連れてってくれた。
行けるライブは全部行った。
日々のアレコレを忘れられる時間。
彼らの存在が、わたしを生かしていた。

そしてつい半年前、久しぶりの感情が乾いていたココロに芽生えた。
今度はあるV系バンドがわたしを生かし続けようとしている。
自分でも、まさかだった。
また推しができたこともだが、その対象がV系バンドだったこと。
深夜、ザッピングの手をなんとなく止めた。
ある音楽番組に彼らが出ていた。
トークコーナーと歌唱映像。
ほんの10分ほどの尺だったが、彼らが気になって仕方なかった。
気づくとYouTubeを端から端まで観ていた。

◎          ◎

彼らにハートを射貫かれたタイミングは、いずれもココロが危うい時期。
序盤にも書いたが、これが本当に不思議である。
何者かがわたしに彼らをあてがっているのではないか。そう思わざるを得ないほどに不思議だ。

推しのツアーが先日まで行われていた。
運良く何ヵ所か参加することができた。
ツアーが終わり、その思い出を頭の中の映写機が頼んでもいないのに動きだし、胸がキュッとなる。
バンド好きの方であれば、わかっていただけるのではないだろうか。
つい半年前に好きになったこと、つい半年前はココロが危うい時期だったこと、それを救ってくれたこともまた、キュッとなる要因だった。

このときに、「あぁ、この楽しかったひとときを、何があっても忘れたくないなぁ」と想ったのだ。

あのときのお笑いライブも、出待ちも、はじめてのライブハウスも、はじめて全力で跳んだ日も、聴きたかった曲をやっと聴けたライブも、はじめてのV系のライブも、行ったライブ全部、見た景色全部、何があっても、忘れたくない。

現実逃避と言われれば、それまでだ。
だが何度でも言う、わたしは彼らに生かされている。
命の恩人でもある。
学校、部活、友人、家族、その他諸々。
記憶にはいろんな出来事、いや、日々のなんでもないことも刻まれている。
そのどんな記憶よりも"推しとわたしの時間"という記憶は、わたしにはとても大切。
救われたという現象は、人間にとって至極、感動的なことなのだろう。

◎          ◎

近年、人間の寿命が延びている。
しかし健康な状態かどうかは別である。
日々のなかで危険なこともたくさんある。
いつ記憶を失うか、自らでわかるものじゃない。
無論、他人にもわかるまい。

生きることに対して消極的なわたしに、生きている実感をもたらしてくれる彼ら。
網膜の映像。鼓膜の記憶。全身の感情。
全部全部忘れたくない。
なにがあっても。ぜったい。忘れたくない。