社会が苦手だった。歴史や地理に対して興味がないし、何より覚えることが多すぎる。暗記暗記の連続で、自分のキャパシティを完全にオーバーしてしまう。
テスト前は必死に頭に詰め込み、なんとか平均点を目指すレベルで、テスト後は綺麗さっぱり記憶から消えてしまった。

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人は忘れる生き物だ。
だから、忘れてしまうことは仕方のないこと。私の社会の勉強の記憶もどんどん薄れ、鎌倉時代の執権?誰だっけ?と基本的なことさえ覚えていない。
そう、放っておけば以前必死に覚えたことも忘れてしまうものだ。

しかし、忘れられない記憶もある。
心に強く響いた記憶である。
自分がひどく傷ついたこと。とても感動したこと。すごく悲しかったこと。楽しくて仕方なかったこと。辛くてしょうがなかったこと。嬉しくて興奮したこと。そんな記憶は今でも残っている。
あの時は若かった、あの頃は楽しかった、あの経験があったから今の自分があるんだ、と思い返してしみじみと感じることもある。

そして私の記憶の中では、母とのやりとりで忘れたくないことがある。
「できることなら代わってあげたい」と涙ながらに言った母。
「こんな子、私の子じゃない!」と吐き捨てるように言った母。
この2つの出来事は、私にとって違う意味で胸を締め付けられた記憶。

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先天性心室中隔欠損という心臓の病を患っていた私は、病状が重く手術をしなければならなかった。辛い治療の記憶は正直、断片的にしか覚えていない。でも、手術前夜の出来事はなぜかしばらくの間しっかりと覚えていた。
いつもハキハキ話す母が、驚くほどか細く、震えた声で言った。
「できることなら代わってあげたい」
母は私を健康に産んであげられなかったことに、責任を感じていたのだと思う。母の責任ではないし、私は母に代わってほしいなんて思っていたわけではない。
でも、代わってあげたいというのは、今思えば母の深い愛から発せられた言葉だった。

その一方で母は厳しかった。85点の算数テストを隠し持っていた私は、母にバレて激怒された。ピアノのコンクールで失敗してしまった時期とも被り、母の雷が落ちた。
母は私に手を挙げ、物を投げ捨てて言った。
「役立たず!こんな子、私の子じゃない!」
本心ではなかったと思う。でも、言われた当時は死にたいと思った。大好きな母が、私のことを認めてくれなかったことが辛くて、自分の存在意義を感じられなくなってしまい、死んだほうが楽だと思った。

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母にとっては、両方とも大した記憶ではないかもしれない。でも、私にとって、あの時の違う意味での心を締め付けられるような記憶は、これから先も忘れたくない記憶である。
忘れられた方が、気持ち的には楽になれるかもしれない。辛いことなんてこれから先もあるはずだから、そんな気持ちは綺麗さっぱりなくしたほうがいいのかもしれない。
でも、私がこれから先、もっと歳を重ねていく上で、あの言葉は私の心を成長させた言葉だと思っている。

人間は忘れる生き物だ。あの時の言葉も出来事もその時の感情も、時間が経つにつれてどんどん情景は薄れている気がする。時々、記憶が薄れていって、本当にあったことなのかと不安になる。自分が捏造した記憶ではないのだろうかと。
いや、でもそんなことはない。忘れないようにあの時の記憶をつづった紙が取ってあったり、薄れていかないように、思い出して日記に書き留めたりしたものもある。
大丈夫。まだ忘れない。忘れないことで、私は強く気高く生きていける。

これからも、忘れたくないことは、メモをして記憶にも記録にも残しておこうと思う。そして自分の成長につなげ、今の自分はあの時の出来事があったから、私は今、精一杯生きているって笑顔で言えるようになりたい。