19歳の時に免許を取得して以来、一度も運転をしないままゴールド免許になってしまった。
都会ではそんな人もいるかもしれないが、私は1人1車と言っても過言ではないほど車が生活必需品の地方に住んでいる。家族の車の運転もしない私は、絶滅危惧種といっても過言ではなかった。

「車買わないの?」という言葉は、もう耳にたこができるほど聞いた。職場からも、友人からも、家族からも。
当然あちこちへ行く足にされている家族には最もちくちく言われた。私自身、罪悪感と羞恥を覚えながら、家族に送迎をお願いするのにはうんざりしていた。

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そんな私に転機が訪れる。元の居住地よりかなり遠いところへ引越しが決まった。家族とも離れるし、引っ越し先にはほぼ公共交通機関がない。車がないと仕事だってまともにできない。
いよいよ車を買うか、と腹を括った。訳ではなかった。

私はかなり心配性な性格だ。ローンを組み、大きな買い物をすることを想像するだけで息が苦しくなった。維持費だって馬鹿にならない。意味もなく通帳を開け閉めし、過去の浪費を悔やんだ。奨学金の返済もまだまだ残っている。しかも、自分だけが事故にあうならまだしも、人を害する可能性だってある。数えきれないリスクがもれなく付いてくる高額な買い物をするなんて、真っ平ごめんだと心の中で嘆きまくった。

なかなか車の購入に踏み切れなかった。何度も何度もディーラーに足を運び、ああでもないこうでもないと車の購入を先延ばしにした。まずいとわかりながら、解決策を考えることすら避けていた。怖い、という気持ちから身動きができなくなっていた。

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そしてついに、時間的にも今日、車の契約をしなければ、という日が来てしまった。
私はここまで来ても、ぎりぎりまで購入を躊躇していた。ディーラーで見積書を眺めながらうんうん唸っていると、妹からのメッセージがスマートフォンに表示された。
「パパ、いつまでも待たせるなって怒ってる」

メッセージを認識した瞬間、私はディーラーで号泣した。思い出すのも恥ずかしい。
こんな嫌なことを努力してやっているのに、なぜ怒られなければならないのだ!しかも車を運転し、ローンを組むのは父ではない、私なんだぞ。気持ちのダムが決壊した瞬間だった。

今となっては1人の知り合いもいない土地で、慣れない車を運転する私を心配するからこそ、煮え切らない態度に堪忍袋の緒も切れるだろう、と冷静に振り返ることができる。だが、車の購入に伴う不安でがんじがらめになっていた私に、そんな余裕はなかった。

アラサーの女が契約者にサインしながら、涙をだばだば流した。販売員もびっくりだと思う。その販売員も、たまたま同じ年齢の、私よりはるかにスタイルがよく、気も遣える可愛らしい女性だった。そんなまばゆい女性の前で、マスカラをどろどろに溶かして泣く自分が惨めすぎて、また泣けた。

見るに堪えない私を前にしても、彼女はてきぱきと保険会社の案内をし、納車の日を取り決め、忘れずに契約特典のトイレットペーパーもくれた。さすがプロだ。
私はトイレットペーパーをすぐに開封して、ぐちゃぐちゃになった顔を拭いた。涙と鼻水で窒息寸前だった。もう必死だった。
態度にはおくびにも出さなかったが、彼女は私に売られる自社の車が心配でたまらなかっただろう。私は、自分の先延ばし癖が行き着く先を知った。

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さて、そんな思いをしてまで手に入れた車はどうだったかというと、すこぶる快適だった。
今のところ事故もおこしていない。ローンの頭金は、私の通帳からごっそりいなくなってしまったけれど。

あんなに思い悩んでいた日々は何だったのだろう。今は自分の車でどこへでも行ける。やってしまえばこんなにもあっけない。ああ、次はもっと早くやることに取り掛かろう。
そんなことを思ったのに、水道局からの手紙を放置しすぎて停水予告通知書を受け取ってしまった。もっと早く確認するべきだった。給水の停止まで日数がない。これから深夜のコンビニへ、水道料金を払いに行く。