祖母が死んだ。3年前のことである。
死因は交通事故。近所のスーパーに向かう途中だった。広い通りにも関わらず、横断歩道のない道を歩いていた祖母は一瞬で天国に行ってしまった。私の忘れたくないこと、そう、祖母のことだ。

◎          ◎

当時大学1年生だった私は、祖母の訃報を聞いた時、不思議と涙は出なかった。祖母とはお互い飛行機で移動する距離に住んでいたため、もともと頻繁に会っていたわけではないが、それでも自分自身驚くほど冷静に祖母の死を受けとめていた。

忙しいキャンパスライフが私を満たし、日に日に祖母を思い出すことも減った。しかし近頃、祖母の面影によく似た人を街で見かけた。その時ふと、これまで無意識に封印していた祖母との記憶が蘇った。

いつもしていた赤い口紅。会うたびに「べっぴんさんになったね、お姉さんになったね」と言われたこと。私の誕生日には毎年プレゼントを送ってくれたこと。祖母の運転で買い物に行ったこと。一緒に絵を描いたこと……。
いつからか、口紅をしなくなったこと。いつからか、会うたびに「今、何年生だっけ?」と言われたこと。いつからか、私の誕生日プレゼントが届かなくなったこと。いつからか、運転をしなくなったこと。いつからか、一緒に絵を描くのではなくテレビを眺めるようになったこと……。
今こうして振り返ると、会うたびに段々と老いていく祖母に対し、私の祖母に対する心は正直離れていったように思う。

◎          ◎

距離をとったままの祖母との突然の別れ。祖母と交わした最後の言葉は何だっただろうか。
祖母にとって私の存在はどんな存在だっただろうか。今の私を見てどう思うだろうか。やり残したことはなかっただろうか。死ぬって怖いのか。いったい祖母の人生はどんな人生だったのだろうか。
そんなとりとめのない思いが私をめぐる。
もっと感謝の気持ちを伝えたかった。もっと頻繁に電話をすればよかった。もっと一緒にお出かけをしたかった。もっと祖母の話を聞きたかった。もっと一緒に笑い合いたかった。もっと美味しいものを一緒に食べたかった。もっと祖母に甘えたかった。そして私の成人した姿を見せたかった。そんな叶わぬ思いが私をめぐる。

◎          ◎

先日、祖母が亡くなった道に信号機ができると聞いた。これからあの道を通るたび、その信号機で止まるたび、祖母のことを思い出すだろう。
祖母の生きた証が信号機に象徴されるようでなんとも言えない気持ちになるが、私は祖母のことを忘れない。祖母に伝えられなかった思いや後悔は多々あるが、それも含めて祖母のことを忘れたくない。大して祖母孝行できなかったが、これから立派な社会人になって成長した姿を見守っていてほしい。

人の死はいつやってくるか分からない。もしかすると、今日会った人とはもう会えないかもしれない。今ある出会いを大切にし、正直に生きたいと思う。そして「ありがとう」と素直に言えるようになりたい。
おばあちゃん、遅くなったけど、今までありがとう。