26歳2ヶ月で婚姻届を提出してから、2年と7ヶ月経った。
私はもともと、女友達から「恋多きひと」「惚れっぽい」と言われるようなタイプだった。
自覚はあった。

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基本的に男の人は好きだ。私は男性優位の政治や社会構造には問題意識を持っているが、直接関わったことのある男性達はほぼ皆、優しくて忍耐強さがあり、親切に私に接してくれた。だから、男の人は好きだ。性的指向は100%、男性を向いていると思う。
感じ良く接してくれて、いくつかいいなと思う点があって、壊滅的に嫌なところがなければ、けっこう好きになってしまう。

ただ、これも私の性質の特徴なのだが、とても忘れっぽいため、その気持ちが長続きしない。好きだな、と気持ちが一瞬盛り上がっても、すぐに忘れてしまう。
彼氏がいても、一週間会わないと、自分の中で影が薄くなっていく。一週間ぶりに会うと、ああ、こんな感じだったっけ、と思う。
だから、結婚に向いているかどうかは正直一抹の不安があった。

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ところが、夫はすごかった。
すごいスピードで新陳代謝を繰り返す私の頭(昨日好きだったのに、今日は白紙)を持ってしても、ものすごく好きだという気持ちが持続している。
どういうことかというと、毎日、好き!と思わせてくれるのだ。

美味しい手料理を作ってくれる、帰宅が遅くなる日は寝室に直行して優しく手を握っておやすみをしてくれる、家事の負担の偏りを察してバランスがとれるように動いてくれる、等々。毎日好きだなあ、と思う出来事がある。
また、感動的に好きだなあと思う出来事がいくつも重なり、それらは白紙に返らずに、しっかりと私の脳に刻まれ、夫への気持ちが底上げされている。

だから、日々愛情いっぱいに暮らしているのだが、結婚してからひとつ変化を感じる。
男性を見る目が優しくなった。
つまり、元々の惚れっぽい特性がより強化されたとも言える。

たとえば、ギャンブルが大好きという男性がいたとして、結婚前の私だったら、結婚相手としてギャンブル好きは不安、親の印象も悪いし、と無意識のうちに判定して、彼の全体的な評価を下げていたと思う。
世の中には、素敵な男性がほんの一握りしかいないように感じていた(大変失礼な話だ)。

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ところが、結婚後には結婚相手としてどうかという深い水準で考えることがなくなり、良いところにしか目が向かなくなった。
結果、世の中に素敵な男性がたくさんいるように感じる。
前述の例だと、ギャンブル好きというのはその人のほんの一部分、たかだか趣味であって、見た目もかっこいいし会話も楽しいし実はしっかりしてるし、十分素敵じゃん!といった具合だ。
食べることを禁止されているスイーツが、非現実的なくらい美味しそうに輝いて見えるのと同じ原理だろうか……。

私の忘れたくないことは、夫以上の人はいないということ、そして、どんなに他の男性が魅力的に見えても、それは、夫がいてくれる安心感が根底にあるから素敵に見えるのだ、という事実だ。
それさえ忘れなければ、今の幸せな生活をずっと続けていくことができる。
素敵な人が多い世界で過ごすのは単純に楽しいし、見ているだけなら罪ではない。
これからも夫に感謝し、魅力的な人をときどき横目で見ながら、軽やかに生きていけたらと思う。