大学のサークルで出会い、付き合って3年目になる彼とは、交際半年記念日に作ったペアリングをつけている。
吉祥寺のお店で一番安かった1本1000円ほどのそれは、いつ別れても後悔しない値段であることから私が提案したものだ。さすがにその理由は告げずに。
結婚指輪ではないため右手の薬指ではあるものの、初めてのお揃いを手に入れた私はとてもとても嬉しかった。
ペアリングはカップルがつけるベタなものではある。しかし、彼との関係性が物として存在していることに安心感を覚えた。
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指輪を作ってからは肌身離さずつけつづけ、2年以上が経過した。
彼もいつもつけてくれており、サークルの活動時のZoomの画面越しに見えることもあった。また、その間の変化としては、彼が大学を卒業・就職し、日々指輪をつけることが難しくなったくらい。些細な喧嘩はあったものの、私が危惧していた別れの危機は特になかった。
また、彼の地元での就職に伴いこの4月から遠距離になったため、お互いが指輪をつけているかなど把握できる状況にないのが正直なところだ。
春が過ぎてからは、1度彼の地元で会った。彼は仕事終わりに駅まで迎えに来てくれ、夕食を食べに出かける前に彼の家に荷物を置きに行った。
その時、彼は仕事着から着替えると共に、棚に置いてあった指輪をさりげなくつけていた。めざとい私は手に取った瞬間もしっかり見ていたが、私に会う時にはつけてくれようとしている気持ちが嬉しかった。
ただ、会っている期間はつけてくれていても、彼はまたすぐに仕事という日常に戻る。「またね」と別れた日の夜にはきっと外すのだろうと思うと、わがままではあるものの寂しさを覚えた。
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一方で私の最近の指輪事情はというと、バイトの時以外は毎日つけている。そのため指輪がついているところには、くっきりと日焼けの跡が残っている。つまり、指輪は付けていても外していても私と共に存在している。
また、右手の親指で指輪がついていることを確認することが癖になっており、指輪を通して彼とのつながりを感じ、安心感を得ている。彼は私にとって優しさと安心感の塊であり、そのことからお揃いの指輪についてもそのように感じているらしい。
指輪をつけるようになった当初は、彼との関係性を表していた指輪だったが、今では彼の分身のような存在であるということに気が付く。そのため、つけていない時には指輪をどこにしまっているかが気になったり、一瞬不安に襲われたりしてしまうこともある。
このように、遠距離にもかかわらず指輪のおかげか、特に寂しさを感じることもなく日々を送っている。
しかし、悲観的でも楽観的でもなく現実的な私は、いつか彼と別れてしまう日が訪れてしまう可能性も否定できないと考えている。また、来年からは就職のため私も指輪をつけていられる時間が圧倒的に短くなってしまうという現実もある。
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どちらにせよ指輪をつけないと、私の薬指からは指輪の跡も次第になくなっていく。私はこのことにより彼との思い出も失ってしまうように感じ、怖い。
1000円で購入した指輪という存在が、今では日焼けの跡として身体についていると共に、私にとってより価値のある、大切な、失いたくないものになっている。また、購入した当初の彼とお揃いとしての「ペアリング」の存在ではなく、今や独立した「指輪」としての存在が大きくなってきているということを知る。
いずれにせよ、たかが指輪、されど指輪である。
簡単に買わなきゃよかったかなとも思うが、今更手放せないものである。
今後2人がどのような道を歩んでいくかはわからないが、結婚指輪、もしくは別れを選ぶまでは、肌身離さず心身共に今後も刻み続けていきたい、忘れたくないものである。