「あなたと私は考え方が合わないんだね。初めて知ったよ」
その言葉を聞いた瞬間、私はふられたと思ったし、この子と会うことはもう2度とないのだろうと感じた。

人生で一番辛い時も悲しい時も側にいた。本当に、仲が良かった

彼女とは学生の頃からの親友で、とても気が合っていた。サブカルチャーが好きだと聞いて私から話しかけて始まった仲だった。いつも趣味の話で盛り上がっていたし、家庭環境だって少し似ていたから、打ち解けるまでに時間は掛からなかった。彼女とは同じ価値観・考え方を持っていて、だからこそ電話をすれば何時間だって飽きずに話していたし、将来のことを話すだけでカフェの閉店時間まで居たこともあった。

みんなから仲が良いと言われ、冗談でお互いの名前を彫ったペアリングをつけたこともある。お揃いが嬉しかったから、キラキラ光る新品の指輪を肌身離さずつけていた。卒業してからだって、人生で一番辛い時も悲しい時も互いに側にいた。本当に、仲が良かったのだ。今そんな話をしたって、彼女は否定するかもしれないが。

きっと私が変わってしまったのだ。社会に出たことで日々何かしらに時間と体力を奪われ、好きだったサブカルチャーだって忙しさで追えなくなり、彼女が楽しげに語る話に付いていけず、早々に話を変えるようになってしまった。先の不安とか家族の悩みとか、いつも同じ中身を繰り返す相談が辛くなり、今までは共感と肯定を返していたのに「仕方ないよ、諦めも大事」「じゃあどうしたいの?」「こうすればいいよ」なんて頼まれてもいないのに勝手に解決策を探し始めてさっさと話を済ませようとしてしまっていた。

時が経てばまた戻るはずだから。そう自分に言い聞かせていた

彼女とは考え方が違うなとさえ思っていたのだ。もちろん彼女の反応には困惑と、それと少しの不満が見えた。「仲良し」という名前の歯車がどんどんずれてきているのが分かっていたが、見てみぬフリをした。だって、私たちは永遠の絆があるはずだから。今は違和感があっても、時が経てばまた戻るはずだから。そう自分に言い聞かせていた。付けなくなってから時が経ち、すっかり色褪せた指輪は、引き出しの奥にしまい込んだ。

頻繁だった連絡も、月に1回、さらには半年に1回になった頃、意思の疎通が取れなくなってきた。ちょっとしたことで意見の行き違いが起きるのだ。私は時間を無駄にしないように何でも論理的に事を並べて解決策を提案する。だけど彼女は煮え切らずに同じ悩みばかりだ。ひどい言い草だろう。本当はわかっていたはずなのだ。彼女は周りに話すことで悩みを整理して、自分の中で答えを見つける子だということを。そこが自分と同じで好きだと思ってさえいたはずだった。

私たちには今、初めて知ることがあった。こんなに離れていたとは

なのに私は、いつからか彼女に割く時間を惜しいと思ってしまっていた。だから勝手にアドバイスをして話を終わらせる。それでも話が続くと「じゃあどうしたいの」と苛立ちを覚えてしまう。相手はそれを感じ取ってもちろん、喧嘩になるのだ。言い合いになって、それでも互いを理解できず、少しの沈黙が訪れた後に彼女は言った。「あなたと私は考え方が合わないんだね。初めて知ったよ」と。それを聞いて、私は泣きそうになった。だってずっと一緒に居て、初めて知ることなんてもうないと思っていたのだ。それなのに私たちは今、初めて知ることがあるという、こんなに遠い距離にいるのだなとようやく気がついた。そして勝手に離れたのは私だ。彼女はあの頃から変わらない場所にずっといたのに。

その時はごめんね、また電話すると告げて切ったが、私はこれが最後の電話になると分かっていた。私たちはもう互いに分かり合えない距離にいて、もう戻れやしない。また初めましてを経て互いを知ろうとしない限り。だけどこんなに相反する価値観と考え方を持った二人が、仲良くなろうとは思わないだろう。やり直しはもう利かないのだ。今の自分を取り巻く環境の中で、昔の自分の価値観と考え方には戻せない。彼女だってもちろん、私に合わせる義理などない。だから彼女はあの言葉で私にさよならを告げた。この話はこれで終わりなのだ。

あの頃の指輪はとうに錆びてしまった。だけど今も捨てられずに引き出しの中にある。