街を歩けば目につくのは細くて華奢な女の子。電車に乗り横に立ったのは脚がスラっと伸びた綺麗なOLさん。
私が友達と遊びに出かける日、出掛けてまず感じるのは世界にはあまりにも細くて綺麗な人が多いということ。
そしてそんな人達を横目に、電車の窓に映った自分を見てため息がでる。あまりにも惨めであるその姿に、我ながらかける言葉も見つからない。

からかう周囲に言い返せなかった。痩せた姿に生まれ変わりたかった

理由はこの体型である。お世辞にも細いとは言えないウエスト、スカートに隠れてるとはいえ風が吹くと張り付き露わになる大きな太腿。華奢なんてほど遠い肩幅に、まさに"焼豚"と言わんばかりの腕。
「デブが頑張ってもデブはデブだ」と心の私が叫ぶ。早起きして頑張ったメイクも、今日下ろしたワンピースも、お気に入りの靴もバッグも全てがなんとも憐れに映った。
それが18歳の高校生の私だった。

そんな思いが芽生えはじめたのは、きっと中学生の頃だろう。
背もクラスでは高い方で、体重も男子に負けないくらいあったし、お父さんからは「ラグビーをやったらどうだ」と言われるほどの立派な肩幅が備わっていた。
同級生はそんな大きな私をもちろん揶揄った。私がここで「そういうことを言われると悲しいな」と言えば、きっとここから数年間あんな辛い思いはしなかったのだろうと、今になればそう思う。
けれど、中学生の私にそんな大層なことはできない。この空気が悪くなるのが中学生の私にはなによりも怖かった。これでつまらない奴って思われたら?仲間外れにされたら?そう考えると恐怖で、なにも言葉が浮かんでこない。その場は笑って過ごすことにした。
けれどそんな日の帰り道はいつだって泣いていた。私だって痩せれるのなら今すぐにでも痩せたい。痩せて生まれ変わった私になりたかった。

変わった身体。でも、「自分は太っている」と変わらない心

そんな中1の冬、突然お腹が痛くなって歩けなくなった。穿孔性虫垂炎だった。
その時のことは痛すぎてよく覚えていないが、盲腸が破裂したんだ、と後に母から聞かされた。その影響で私は8キロ痩せた。願ってもないことだった。
退院後、学校へ登校しても体型で揶揄われることは随分と減った。そして卒業。私は高校生になった。
私を揶揄う人はもういない。だけどその時の刷り込みだけはずっと消えなかった。

高校生の間はバイトに部活に勉強に行事と、今と比べても本当に忙しい日々を送っていた。そして私はその高校生活の3年間も、自己暗示のように「自分は太っているんだ」と信じて疑わなかった。「そんなことないよ」という優しい友達の言葉も全く耳に入らなかった。
誰に言われるよりも自分が自分を貶すことは、とにかく私の精神をすり減らした。毎晩寝る前はどうして太っているんだろうと考えた。そして忙しいと言い訳をし、考えるばかりで何も行動しない私を私自身はとても嫌っていた。
中学生の時に泣いて帰った日々よりも、高校生の私が夜ベッドの上で涙を流した日々の方が圧倒的に多かった。私は毎日私をそうやって虐めていた。

あの頃の自己暗示は解けた。必要なのは"余裕"だった

高校卒業後は就職した。実家を出て就職したことで仕事しかやることがなくなった。仕事も運良く上司に良くしてもらっているおかげでとても順調だった。
時間に余裕ができて、心にも余裕ができた。沢山の本を読む時間ができたし、映画もよく見るようになった。そして何よりもゆっくり寝ることができた。

いつのまにかあの頃の自己暗示は解けていた。私に必要だったのは痩せた身体でなく、"心の余裕"だった。
ようやく私の心と身体は数年をかけて和解することができた。
あの頃からまた随分私の身体は大きくなった。あの頃見かけた女の子や、OLさんみたいな綺麗な身体は今でも物凄く欲しい。だけど今の身体を否定する必要はないのだと、私はたくさんの本や映画から教えてもらった。
お酒を飲みながら、美味しいご飯を食べて映画を見る。友達と笑って、旅行に行って旅先で本を買う。今の私にこれ以上の幸せは思いつかない。

「私の体型は、私の幸せに無関係だったよ」
過去の私にそう伝えたいけれど、残念ながらタイムマシンはまだ完成していない。
過去の私は今の私。そう思うことにして、今は美味しいご飯とお酒でゆっくりするのも悪くはないだろう。