「へ~意外!」「ゆーきちゃんって意外と〇〇なんだね!」
そう言われると、私は嬉しくなる。というのも、第一印象を裏切るのが嬉しいのだ。私の第一印象はたいてい、「可愛くてふわふわしている」「大人しそう」「癒し系」といったところだろう。
「背が低い」ことで可愛がられることは嬉しいのだけど…
私は小さい頃から背が低く、背の順ではいつも腰に手を当てる役だった。そのこともあって、小学校に入った頃から、周りのみんなに可愛がられることが多い。
特に女子校に通っていた中高時代はすごかった。何もしていないのに。立っているだけで。体育で失敗しても。そんなことで可愛いと言われるのはなんだか気が引けた。
顔が可愛いならまだしも、おそらく大半は「背が低い」ということによる印象だろうと分かっている。それでも、可愛がられるのはとても嬉しいのが厄介だ。もらえばもらうほど、幸せな気持ちになるのだ。
しかし、可愛いという言葉を本気で信じてそう振る舞うと、きっと痛い目をみる。調子に乗らず、ありがたく、ただ背が低いからだと受け止めることに努める。
印象にそぐわないことは、「ギャップ」として処理される
人は、他者からの扱われ方から自分の印象を知り、理想の自分との差異を見ながら自己を日々更新しながら生きている。このような話を以前何かで読んだことがある。だから、きっと周りからの「小さくて可愛いゆーきちゃん像」をありがたく受け続けた結果、私はおおむね「小さくて可愛い」子になったのだと思う。
そして、私はそれをうまく利用している。そう思う。
私は背が低いことをコンプレックスに思ったことがない。
確かに、靴やコートを選ぶのはとても労力がかかるし、スタイルが良い人には憧れる。
しかし、背が低いおかげで可愛がってもらえるし、可愛い服を着ることができる。また、少しの失敗なら笑ってごまかせるし、人に怖がられない。第一、女の子は小さい方が可愛いとよく言われる。いいことづくしである。
一番ありがたいのは、印象にそぐわないことがあれば、良い「ギャップ」として処理されることだ。小さいのに、しっかりしている。小さいのに、頑張っている。小さいのに、かっこいい。といったように。
「人は見た目が第一」。私はそれを積極的に裏切っていく
これは今まで私が生きてきて感じる個人的意見だが、背が低いというだけで少し舐められるというか、何か「できない」ような印象がついている。そして、そこに少しでも「強そうな」「できる」印象が現れると、みんな、いい意味で驚いてくれる。
例えば私は、サックスを吹く。小さい頃から空手を習っている。割と塩対応だし、虫も絶叫系もゾンビ映画も怖くない。この文章だけで伝わるかはわからないが、これらは私の与える印象からみると意外なことだろうと思う。
私には、「小さくて可愛い」印象から作り上げられた、一般的に「女の子らしい」と言われるような部分もたくさんあるが、そうではない部分もたくさんある。なんとなく、こういった「印象を裏切るカード」を見せることで、みんなが色眼鏡を外して私のことを見直してくれるような気がする。
だから、「人は見た目が第一」と言うけれど、私はそれを積極的に裏切っていく。それは、「私はそんなに単純じゃないぞ」「思い通りにはならないぞ」「ただ小さくて可愛いだけじゃないぞ」という意思、反発の表れなのかもしれない。