自分には、誇れるものはない、そう思っていた。
理由は、胸が小さいから。

男性には、魅力的に感じないだろうし、服も可愛いと思っても安易には着られない、胸元の開いた服は着てはいけない、そう思っていた。今もそう思う。

魅力のある女性になれず、自分に自信がずっとなかった私は、学生の頃から恋愛にも消極的だった。恋をしないように、他者に関心を持たないように生きてきた。
どうせ私なんか、恋愛対象として見られることはない。姿に自信をなくせば、発言も、行動も全てに自信をなくしていくのに時間はかからなかった。
“どうせ私なんか”
いつしかその考えは、潜在的に自分の中に存在していた。

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胸が小さいことは、自分の最大のコンプレックスでもある。
中学生になろうとする頃、周りの同級生は徐々にキャミソールからカップ付きの下着やブラジャーへ変わっていく。自分はいつこういう下着が着られるのかな、と思いながら待ってみるものの何も変わらず。なんとか無理を言って親に買ってもらったカップ付きの下着も、かなりのゆとりがあった。

同級生はちゃんとここに入るだけの胸を持っているのに、なんで私だけこうなのだろう。

周りと同じように発達していかない自分の体に、焦りと不安を覚えた。
今でも、胸さえあればマネキンが着ている服も同じようなシルエットで着られたかもしれないのに。そんなタラレバを心でつぶやきながらウィンドウショッピングをすることがむしろ普通なくらいだ。

今でこそ、ブラジャーをつけているのだが、サイズは小さく、まだカップに余裕があるくらい小さい。下着屋さんで探しても、自分のサイズが見つからなかったり、デザインに妥協しなければいけない場合も多くある。展示されているマネキンが身に着けているサイズは、自分がなりたいと思っているサイズであったりすることも、少しため息を付きたくなる。胸がしっかりとある人を、思わず目で追いかけてしまうこともある。こんな胸が欲しいと。

服だってそうだ。
タイトな服やウエストで切り替えのある服であればかろうじて胸があるとわかる程度。大きめサイズの服やワンピースは、そのまま着れば子どものような見た目になる。猫背・反り腰も相まって、妊婦さんのようにお腹が出ているように見えることも少なくない。

夏は薄着で、なんとなくスタイルがわかっても、冬は着ぶくれして跡形もなく消える。もはや、ないものだと思って生きていったほうがいいのだろうか、とさえ思う。ますます自分に自信をなくす一方である。似合わないから着られないと言う理由で、買うことを諦めた洋服も数知れず。結局同じ系統の服を着て安パイに過ごすのがスタンダードとなっている。

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この身体と、どうやって付き合っていこう。

バストアップ効果があると言われるものに食いついてみたりもした。下着や健康食品、マッサージなど。どれも効果を感じられるほどバストアップしなかった。私には、どれをしても効かないのだな、と落胆する。
無理やり寄せて、見かけ騙しをして、それでも脱衣所で自分の姿を見たときはため息をついて。

見方を変えてみると良いとはよく聞くけれど、最大のコンプレックスが解消されるわけではない。自分のチャームポイントをポジティブに捉えることも考え方としてはあるが、一番自己肯定感が上がるのは、コンプレックスが解消されたときである。
ならば手っ取り早く、美容医療の力を借りればいいのでは?と結び付けられるが、そうではない。メスを入れて変えればいいというわけでもないのだ。

自分の体の至らなさと向き合って十数年。年月だけが過ぎていくことがさらに虚しさを増幅させるが、未だにコンプレックスを消す方法を探している。自分が本当の意味で自分に自身が持てるようになるのはいつなのだろうか。付き合い方がわかるまでに、あとどのくらいかかるのだろうか。

やっと内面と向き合い始めた私にとって、第二の課題であり、内面以上に時間のかかる問題かもしれない。未知の世界ではあるものの、私なりに向き合い、付き合って行けると確信できる日まで、とことん自分に問い続けて行こうと思う。