「自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ」

茨木のり子の作品である『自分の感受性くらい』の一節だ。
この強烈な言葉には、多くの人が叱咤激励されてきたのではないだろうか。
私も、その一人だ。

いつ、この詩を知ったのかは覚えていないけど、小学生の頃には知っていた気がする。
この詩を初めて読んだとき、目の前で光が弾けるような衝撃を受けた。
今でも、この詩を読むと、その衝撃が蘇る。

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この詩の全ての言葉から、生きることを諦めるなというメッセージが伝わってくる。
茨木のり子の真意はわからないが、私は勝手に励まされてきた。

仕事が上手くいかず、恋愛も上手くいかず、全てのことが上手くいかないと感じていたとき、ふとこの詩をネットで検索してみた。
特別、茨木のり子が好きなわけではないし、『自分の感受性くらい』がどんな内容だったのかもあまり覚えていなかった。
ただ、この詩を読んで衝撃を受けたことだけは覚えていた。

読んだ瞬間、ガツンと殴られたような気がした。
直感的に、「私に言ってくれている」と思った。
茨木のり子が私を知っているわけがないのに、なぜか、私に向けて言われているように感じたのだ。

現実が苦しいことを環境のせいにするな。
その主張は一見、冷たいように聞こえる。
だけど、彼女は言う。
現実が苦しいことを自分以外の何かのせいにすることは、「わずかに光る尊厳の放棄」だと。

この人は、どこまでも人間の可能性を信じている人なんだと思った。
人間は、どんなに辛い環境に置かれても、どんなに苦しくても、失ってはいけないものを持っている。
それが「尊厳」だと。
そして、尊厳を放棄するなと言う。

辛い現実はたしかにある。
置かれた環境によって、不利な状況に追い込まれることもたしかにある。
誰かに貶められることだってあるだろう。

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そんな苦しい思いをしている人を見ると、ついつい、「あなたのせいじゃないんだよ」と声をかけてあげたくなる。
だから、もう頑張らなくていい、苦しまなくていいと。
その言葉によって救われる人もいるだろうし、その言葉が必要なこともあるだろう。

だけど、その時の私は、茨木のり子の言葉にこの上ない優しさを感じた。
あなたには未来がある、これから生きていく力がある、あなたはダメなんかじゃない。
そう言ってもらえた気がした。

仕事ができないことを、先輩の教え方のせいにしたかった。
物覚えが悪いことを親の教育のせいにしたかった。
自分が捻くれていることを、育ってきた環境のせいにしたかった。
恋人と上手くいかないことを、相手のせいにしたかった。
あなたは悪くない。
頑張っているから、これ以上頑張らなくていいと言われたかった。

そう言われたかったはずなのに、彼女の人間へのひたむきすぎる想いが、私の心を動かした。
あなたの身に起こっていることを、他人のせいにしていいの?
あなたの人生を左右するのが、他人でいいの?
たとえ、どんな状況に置かれたって、あなた自身があなたの人生を左右する。
たとえ、どんなに苦しくても、あなた自身があなたの人生を決めていくことができる。
何を思うか、何をするのか、何を選ぶのか、それを決めることができるのは他人じゃない。
あなた。
あなたが、あなたの好きなものを選ぶことができる。
あなたが、あなたの嫌いなものを選ぶことができる。
どうしようもならないこともあるだろう。
何をしたって、上手くいかないこともあるだろう。
誰にも理解してもらえないこともあるだろう。
それでも、自分の人生だけは自分で生きなさい。
現実が厳しくて、どうしたって太刀打ちできない時も、心だけは支配されないで。
何を感じるかだけは、自分で決めることができるのだから。

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「自分の感受性ぐらい自分で守ればかものよ」
こんな風に叱咤激励されたのは、初めての経験だった。
とても厳しいことを言っている。
何を腑抜けているんだ、あなたの身に起こっていることは誰のせいにもできないと。
同時に、もっと自分の可能性を信じなさいと言っている。
本当は、自分で考え決めていくことができるのに、他人があなたの人生を決めていると思っているの?
誰かのせいにすることは、あなたが自分で自分の価値を貶めていることに他ならないのだ。
もっと自分の力を信じなさい。あなたには、それだけの力があるのだからと。

彼女の言葉は、私に勇気を与えてくれる。
私も生きていけるんだと思わせてくれる。
私にも力があって、自分の人生を決断していくことができるのだと。
もちろん、現実は変わらない。
相変わらず仕事はできないし、性格も悪いままだし、恋愛だって下手を打つことばかり。
無い物ねだりばかりで、それを得るための努力もしていない。
到底、自分自身が望んでいる自分の姿になんてなれていない。

それでも、自分の人生を自分で生きることだけは諦めていない。
自分以外の誰かに振り回される人生ではなく、自分が生きていると実感できる日々を送っていたい。
自分の力ではどうしようもないことが起こったとしても、何を感じるかだけは、自分で決めていけるように。