大学2年生の時、年上の大学教員に恋をした。
大教室の真ん中に立つ彼は、静かだけれど学生に対して優しくて、穏やかで、私を虜にするのにそう時間は掛からなかった。
でも、そんな人に恋をしても積極的になれるはずもない。ただ眺める日々が続いた。

◎          ◎

学年がひとつ上がり、3年生。その先生のもとで学ぶことは避け、他のゼミを選んだ。
既婚の先生に、恋をしている自分の目を覚ましたかったからだ。そんな生産性のない恋は、無駄だと思った。
しかし、ゼミは違えど、先生が指導する実習は必修だった。
「実習」という名の共同作業は、大教室のような距離感はなく、先生と私の物理的な距離をぐっと縮めた。胸の奥にしまった恋心は再び、少しずつ、騒ぎ出す。
夏のはじめから、先生のことを知りたい気持ちがおさまらなくて、いっぱい質問をした。
それはもう、子どものように。
「先生の好きな食べ物は?」
「先生はなんのアイスが好き?」
辟易しているようにも見えたけれど、にこにこしながら答えてくれる。最初は敬語で話していた先生も、少しずつタメ口に、良くできたときは褒めてくれるようにまでなった。
一度はやめようとした恋でも、他の学生は知らないような先生のことを、「私だけ」が知っている。そんな事実は、どうしようもなく私を高揚させた。
その衝動と同時に、どうすればこの関係を維持できるか考え始めた。好きの矢印は、交わらなくていい、むしろ交わっちゃいけない。迷惑をかけるのも絶対にだめ。実習が終わる来年は、この一方通行を違和感なくどう続けていけばいい?考え続けた。

◎          ◎

慌ただしく実習最終日が終わり、4年生になった。
先生と私を繋ぐものがなくなった今、去年の私が危惧していたことは起きていない。週に1回、先生の研究室は私と先生の笑い声に包まれる。私の企みは成功した。
目的はただひとつ。他の学生よりも先生と一緒にいて、親密になること。あわよくば、いなくなったら寂しくなるような、そんな人になりたい。そのために必要なことは、①先生含め周りの人に迷惑をかけるような言動・行動はしないこと、②楽しいおしゃべりを心がけること、③好意を隠さない、の3つだ。
先生は私の好意に確実に気づいている。「好き」の2文字さえ言っていないけれど、言動・行動から好意に気づいていて、何も言わずに、週1回研究室で、自分の手を止めて話してくれているのだ。
私が雑談したいといえば、時間を作ってくれる。拒めない彼の性格もあると思うが、好意を向けられていることに関して、嫌悪を抱いているわけではないと気づいた。そうならば、卒業するまでこの好意を向け続けるまでだ。

◎          ◎

私は、「生産性のない恋は無駄だ」と先述した。だが、それは今の私からすると「無駄ではない」という考えに着地する。実際、先生に好意を向け始めてから現在に至るまで、それまで興味のなかったファッションやコスメに関心を抱くようになった。自分の好きな自分と、先生の好きな女性像、どちらも想像して自分を作り上げていくのが楽しくなった。
関係が先に進まないからこそ、その範囲内で楽しめる片思いも悪くない。

週に1回の、いつもの時間は、おそらく私が卒業するまで続いていく。
私だけが知っている情報もどんどん増えていく。私が卒業するとき、先生は少しでも寂しい気持ちになってくれるだろうか。
いや、絶対にしてみせる。先生の心に好意を残したまま、私は卒業したい。
純粋な好意を抱いていた時期とは違う、ドロドロした気持ちを隠して、また、夏がはじまった。