同級生が主任になった頃、私は大きなビルで大人たちに囲まれていた。
その状況に被害者意識のようなものを持ったけれど、同時に自分が26歳であることを思い出して溜め息を吐きたくなった。
吐かなかったのは、今まさに私の横で「ご足労頂き、ありがとうございます」から始まる長い経歴をスラスラと話す、同い年くらいの女の子を、脂汗を流しながら横目で見ていたからだった。
あ、女の子じゃないのか。女性だ。女性?怖い。

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程なくして私の手が震え出した。
「自己紹介、すれば大丈夫だから」と、ハンカチで汗を拭いている派遣会社の男性に言われ、それを鵜呑みにして余裕をぶっこいていたらこんな状況に立たされている。
「自己紹介」は、社会人経験が皆無な私にとって、名前と普段歌っているジャンル(ジャンルをそもそもよく分かったことがない)を言えば良いだけの形骸的な、そして特に意味をなさないものだった。
しかしこれはなんだ。何を言っているのだ。その女性は、履歴書の中の「空白の期間」は、アメリカに行っていたからです、とかなんとか言っている。
彼女の話が終わりそうな雰囲気を察して、私は震え出したのだった。

「はい、じゃあ次、吉原さん」と明朗な感じの男性に言われ、私は立ち上がった。そして頭が真っ白になった。ご足労という言葉を忘れ、
「あ、吉原です。26歳です。朝から働いたことがないです」
と合コンのような導入で話し始めてしまって、気付いたら五反田の駅にいた。9月だったけれど蝉が鳴いていた。
「あ、終わった」と結構スッキリした気持ちで思い、その日のために買った、サイズの合わないパンプスをギュムギュム言わせて帰った。
帰った瞬間それを脱いで投げ捨ててエアコンを付けた。
そして、受かった。
やったことがない動画編集を、毎日ひいひい言いながらやって、そのひいひいを1年続けて、そして社員になった。

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そしてまた夏がきた。蝉が鳴き始めている。

3年前まで周りにいた、赤い髪でベースを弾く人や、六本木の地下にある店や、ギターの歪み方への固執など、全てが皆無だ。皆無な暮らしの中でも、うんざりするような暑さも飲めないビールへの憧れも変わっていない。
そして社員証と間違えてミンティアとかやきとん屋のポイントカードやPASMOをかざす、根本的な間違いも変わっていない。

失ったような気がするのはいつも取り巻く環境だ。

19歳の夏、けっこう怒りっぽかった。オオカミに育てられたの?と言われた。でもなんだか寂しかった。
23歳の夏、大失恋をした。鎌倉の土産(飴)を送りつけたりした。焼酎の原液を飲みながら恐ろしいほど長い日記を書いた。
そんでもってすごく寂しかった。
去年の夏、2年ほど引きこもった後に、「このままじゃ死ぬ」と思って煙草を吸いながら派遣会社に登録した。それで前述の恐ろしい面接を乗り越えた。そしてへばりついてしまった寂しさをYouTubeを見ることで紛らわした。

この夏、在宅時はウーバーイーツ、出社時は毎回同じ店で同じ鯖味噌煮を食べている。
本を読まなくなった。歌うことはまだ好きだ。
そんでもって寂しさが戻ってきた。YouTubeでかき消しても、たまに耐えられない時がある。でもその寂しさは1時間ほど我慢すれば去っていくことを知ってしまった。
そのこと自体も結構寂しい。

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でも全部同じ寂しさだ。
流すのは私から出る汗だ。
変わらず蝉が嫌いだ。蝉爆弾を刺激してしまうことを毎日考えて戦々恐々としている。
今日も高すぎるビルに入った。受付のお姉さんがものすごく爽やかな挨拶をしてくれた。蛍光灯にうんざりした。
あ、蛍光灯が苦手なことも変わっていない。
なにも変わっていないとは言い切れないけれど、この夏、変わらないものを結構たくさん見つけるだろう。

私にとって夏はそういうものだ。