脆くても、ずっと私を支えてくれた推しへ、ありがとうと伝えたい。

あれは、七夕を少し過ぎた日のことであった。
この日は朝イチで映画を鑑賞し、その後はマックでバカの一つ覚えの如くエビフィレオのセットを頼み、Twitterで「映画の後のエビフィレオセット。社会人の休日最高」と呟いた。
そのテンションでカラオケに行き、夕方は習い事のヨガで締める。この日はやりたいことをやりたいだけやり切った実に充実した休日であった。
その日の夜のことであった。3年以上私を支え続けてきてくれた推しが、結婚を発表した。いや、3人いた推しの2人が夫婦になった。
しばらくは動揺を隠せず、食事ものどが通らず夜も眠ることができなかった。

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推しとの出会いは、2019年の始めのころだった。
時間に余裕のできた私は、特に誰かを意識することなくYouTubeで推しの所属するグループの動画を視聴していた。すると、そこには数年前に片思いをした先輩にそっくりの推しがいたのだ。次第にお目当てはそのグループから推しへと変わり、先輩に寄せていた想いをそのまま推しに向けるような感覚に陥った。
だが、それはほんの1ヶ月程度のことであった。

推しは普通の成人男性と較べてとても脆い。元々繊細な性格ゆえに不安定に陥りやすく、幸せという言葉が不相応な雰囲気を痛々しいほど感じ取ることができる。加えて大学在学中に精神疾患を発症し、一年のうちに身動きの取れない時期が何か月もあるという。
恵まれた文化資本と整った容姿を引き換えに、社会への適応が困難であるというハンディを抱え持つ姿は、同じ三次元を生きる人間とは想像し難いものがあった。それを知ってからというもの、私が推しを見る目は守っていきたい、支えていきたいといったものに変わっていった。

けれども、実際に支えられていたのは私の方であった。偶然にも推していた時期には私にも試練が重なり、留年や就職浪人、合わない部署への配属など、耐え難いことがいくつも襲ってきた。そんな時、私を支えてくれたのは、私のことなどを知る由もない画面の前の推しであった。
推しは、体調のすぐれない時期が他の人より長いというのに、私たちを勇気付けてくれている。生きることをやめてしまったら、画面越しの推しに会えなくなってしまう。いつしか推しは私の人生の中でかなり大きなウエイトを占めるものとなっていた。

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その後、違うメディアを通して、他に2人の推しができた。そのうちの一人が前述した推しと友人であることは存じ上げていたが、まさかその二人が結婚するとは夢にも思わなかった。二人とも文化的な活動での実績があり、結婚はニュースでも取り上げられたが、文化人同士の結婚を目前にして、私はふと小学生の頃からの夢を思い出した。

「私も作家として文化の担い手になりたい。文化人と結婚して互いの長所を尊重し合えるような夫婦になりたい」
小学生の頃に読み込んだ歴史漫画の影響で、私は高村光太郎、智恵子夫妻に憧れを抱いていた。得意とする分野は違うものの、互いを尊重し深い介入はせずに個々の世界へ没頭する姿。それは無関心によるものではなく、深い悲しみが訪れた時は見放すことなくともに乗り越える。私もそんな家庭を築きたいと思っていた。

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私には手記を出版するという目標があり、休日を使ってコツコツと43000字を書き上げ、それから燃え尽き症候群のような状態に陥り2ヶ月ほど何もしない時期があった。推し同士が結婚したのは、ちょうどその時期のことであった。
そして、私は奮い立たされた。
「私は何もできていないではないか」
今まで停滞していた執筆意欲が一気に燃え上がってきた。
辛い時期を乗り越え、私を支えてくれた推しへ、文化人として私の憧れた地で活躍する新たな夫妻へ、ありがとうと伝えたい。