冬は星が綺麗に見える季節だとよく聞く。冬特有の乾燥とか、冷たい風とか、きっといくつかの条件が重なって、星たちは1年で1番の輝きを得るのだろう。けれどそんな条件よりも、優に星を美しく見せてしまうものがあることを知った。だって私が今まで見てきたなかで一番輝いていた星空は、夏のものだったのだから。
それは13歳、ハーフパンツから伸びる足を撫でる夜風が少し冷たい、忘れもしないあの日のこと。
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小学生から中学生になる大人の階段は、他の階段の段差よりも、1.5倍くらい高い気がする。制服とか部活動とか憧れだったものが全部、一度に襲い掛かってくる。交友関係も世界も自由も1.5倍以上に広がって、私たちは内心必死でそれらをたしなめながらも、さも当然みたいな顔をして生きていた。
そのなかの1つ、さも当然みたいな顔をしながら行き始めた「夜練」。それは学校と部活が終わって一度家に帰宅した後、夜に再度学校に集まって部活の練習をするという文字通りのもので、週に2回、部員は自由参加。行かなくてもペナルティがついたり、文句を言われたりすることも特段ないそれに、当時の私はきちんとと言っていいのかは分からないが、よく参加していた。
目的は友人とのお喋り。
その年齢の人間にとって、太陽が沈んでから友人に会える機会というものは貴重で、そうそうあるものではない。私も例外ではなく、それまで学外のクラブチームなどに属したこともなかったため、夜練に高揚感さえ抱いていた。最初の頃は。
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練習を最大の目的として捉えていない時点で、どうなるかは目に見えている。私たちの中で「夜練に行ってるふりをして皆で夜遊びしよう!」という話が出るまで、時間はかからなかった。
怖いものは親と先生と独りぼっち。それとお化けと虫。それ以外に恐れるものはなかったあの頃の私たちに、ストッパーになる人なんていない。若さの怖いところはそういうところで、いつもの友人たちと一緒にやれば何だって出来るし、思いついたことはすぐに実行する。そう、私たちも話が出たその日に、満を持さずにやりやがった。
決行日は、真夏を少し通り過ぎたくらいの時期で、辺りが暗くなり始めてから吹き出した風が心地よかった。
私たちは夕暮れ時の母校の小学校、校庭の隅っこに集合して、それぞれ持ち寄ったお菓子を食べながら完全に夜が訪れるのを待った。当たり前だが小学校の教室はすべて真っ暗。職員室から漏れる光だけに注意しながら、お喋りに花を咲かせていた。
会話の内容はきっと恋バナとか、どの先生が嫌いでどの先生が優しいとか、勉強が嫌だとか、当たり障りのない在り来たりなものだったと思う。だって何も覚えていないから。
けれど「そろそろ移動しようか」おもむろに立ち上がって、伸びをしたとき。私たちを見つめる星の綺麗さに驚いて、震えたことは覚えている。
それはきっと特別美しいものではなく、毎日何気なく見ているようなものだったのだと思う。それなのに、その壮大さに心を奪われた。きっとそれは友人たちも同じで、暫く見上げたまま立ち尽くした後に、誰かが言った。
「大人になってもまたみんなで、こうやって星を見ようね」
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一緒に夜練を抜け出した実行メンバーとは、もう誰とも連絡をとっていない。学年が上がるにつれて距離ができ、話さなくなった。異文化交流も楽しめないほどの、違う種族になったような感じで、高校に入学する頃には、もう友達ではなくなってしまっていた。
今どこにいるのかも何をしているのかもわからない。きっと街ですれ違っても、そして目が合っても、はっきりと彼女だと認識できたとしても、私は声を掛けない自信がある。
けれど、それぞれがそれぞれのタイミングで、例えば夏の夜風を感じたときとか、星空が眺めたときとか、はたまた夏の記憶をテーマにエッセイを書くときとか、ふとした瞬間にあの日見た星空を思い出してくれれば、叶わなかったあの約束も、意味あるものだったのだと思える。