月に一度、都内の様々な銭湯を訪れるようになってから半年。入店から退店まで1時間もかからないこの時間こそが、私の中でバランスを取る大切な時間となっている。
物理的にスマートフォンからも離れられるためか、思う存分自分という存在に向き合える。

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この習慣に出会ったのは、まだコロナが猛威を奮う前。年末休み直前の最終出勤日に、旅行へ行くことにした時に見つけた方法だ。フライトの関係上、一度帰宅しないでそのまま空港へ向かうことになり、当時働いていた会社の近くの銭湯に立ち寄ることにした。

表参道という都心の駅近くにその銭湯はあった。立地に相応しくスタイリッシュで綺麗で、聞くところによると外苑を走るランナーたちが好んで利用しているとのこと。年内の仕事納めをした直後の安心感からか、それとも旅行直前でハイになっていたためか、やけにお湯が身に染みたことをよく覚えている。

考えなければならないことがすっとお湯に溶け出していき、自然と頭が空っぽになった。その後の旅行へと切り替えをする絶妙な役割を果たしてくれることに気づき、その日以来、銭湯は私のお気に入りスポットになった。

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しかし、コロナが流行して以来は足が遠のいてしまった。そして今年の2月頃、一度勤め人をやめて大学生になることが決まったタイミングで、安くてリラックスできる方法としての都内銭湯巡りを思いついた。

例えば今月訪れたのは、台東区にある4階建の立派な銭湯。学生に戻ってからは、少しでも時給の高い夜勤のバイトをするようになったため、深夜遅くまでやっている銭湯はありがたい。

その日も、勤務時間より早く出て向かった。そこはワンフロアまるまる女性専用で、露天風呂まであった。サウナ目的の人も多いためか若い人の比率が高く、20代でも過ごしやすい雰囲気だった。おかげさまで、その後の夜勤もリフレッシュした状態で勤めることができた。

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このように少しずつ都内の銭湯を巡るようになってから、個人的ないくつかの銭湯の魅力に気がついた。

まずは、銭湯の独特な空間が創り上げる絶妙な安心感。そもそも銭湯は家屋に風呂場がない時代に多く使われた衛生維持を目的とした公共空間。その性質もあって、今でも地元の人々が多く利用するのが一般的。なので一見様として訪れる場所は、既成のコミュニティの中に飛び込む形になる。

確かに目線を感じることもあるが、「誰も私を知らない」という旅行に似た安心感を感じられる。しかし同時に共同空間であるため、周囲には人がいるという矛盾。これが何故だか温かさを感じる要素になっている。

そして2つ目は、しっかり個人を尊重される場であるということ。当然銭湯は裸のままで過ごすために、その場にいる人は外にいる以上にマナーを重んじる傾向にある気がする。
私のように趣味半分で利用する人もいれば、生活の必須空間である人もいる。多様な年齢・国籍の人々が同じお湯に浸かっている空間。失礼のない程度にちらりと顔を見ると、みんな安心した表情を浮かべている。そこにいる人が、ただの人間以外なんでもない姿が妙に平和で私は大好きだ。

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料金改定になったために、銭湯も若干の値上がりはあったものの、500円でこれだけ体も心も癒される場は現代で少ない。

文字通り、一糸纏わない空間だからこそ、日頃の忙しなく動かされる心身を休ませるだけでなく、そこにいる人から平和を感じられる場である銭湯は、実は現代人が最も求めている場所なのではないだろうか。