唐突だが、「当たり前」とは何だろう?
寝て、起きて、ご飯を食べて……そんな日々が「当たり前」なのだろうか?

私は、大学を卒業し、国家資格を取得、その後、病院に就職し働くことが「当たり前」だと思い生活していた。しかし、ある日、当然その「当たり前」と思っていたことが崩れた。
生命に関わる疾患ではないが、とある疾患を患い入退院を繰り返すことになった。
当たり前のようにアルバイトし、大学へ行き、勉強する日々が壊れた。

「なんで私は周りと同じようにできないのだ」
「周りから何年遅れたらいいのだろう」
「もうこんな毎日嫌だ」

絶望した。真っ暗なトンネルの中に迷い込んだ感じだ。
秋の風が気持ちよく、夕日が綺麗であっても、青く澄み渡った空の日でも、私の心は雨がザーザー降る日々。

力強さの中に温かさと優しさがあった、魔法の言葉

入院中のそんな私に周囲の人に「あなたは勉強はできるし、能力もあるのだから、焦らなくていい。働けるようになれば直ぐに周りに追いつけるから」と、温かい言葉をかけてくれた。しかし、悲観的になっている私は「私の気持ちわからないのに勝手な事言わないで」と思ってしまった。
どんな言葉をかけてもらっても私の心には響かなかった。そんなひねくれた自分のこともどんどん嫌になっていった。
言葉に出さずとも「生きるとは?」ということまで考えていた。

真夜中に病棟のベランダで、たそがれていた。時刻も日がまわり病室へ戻った。
すると、夜勤のNsさんが「今いい?」と訪室してきてくれた。
その後、力強くギューとしながら、「いいんだよ、いいんだよ、そのままのあなたでいいんだよ。そのままのあなただからいいんだよ」と言ってくれた。

力強さの中に、温かさと優しさがあった。涙がとまらず、ボロボロに泣いた。それと同時に、言葉にはならないくらい私の心が動かされた。
どんな言葉をかけてもらっても、冷たく、硬く凍りついた私の心は溶けなかったが、この瞬間少しずつジワジワ溶けていくのを感じていた。
この言葉をかけてくれたNsさんありがとう。トンネルから抜け出させてくれてありがとう。

いろんな方の力で、第一段階の目標を達成できた

心の氷が少しずつ溶けた私は、この後も多くの人に様々な温かい言葉のシャワーをかけてもらった。
「人は必要な時に必要な人と出会う、巡り合わせでできている」と実感した。
現在は、Nsだけではなく多職種の人の力を借りて生活している。

第一段階の目標である、資格取得はできた。その背景には、疾患により思うように勉強ができない私にそっと寄り添い、時には一緒に勉強をしてくれた方がいる。何も語らずそっと見守ってくれた方がいる。多忙の中、どうにか私の目標を叶えさせてくれようとした主治医がいる。合格発表の日には、眩しいくらいの笑顔で「おめでとう」と言ってくれた人たちがいる。そんな温かい人たちのおかげで私は、第一段階の目標を達成できた。

一緒に勉強してくれたOTさん、ありがとう。
そっと見守ってくれたNsさん、ありがとう。
いつも私にとっての最善を考えてくれ、見守り、支えてくれた主治医さん、ありがとう。

第二段階の病院への就職は達成できていない。
今でも周囲と比べて悲観的になってしまうことは多々あるが、そんな時は「いいんだよ、いいんだよ、そのままのあなたでいいんだよ。そのままのあなただからいいんだよ」という魔法のような言葉を思い出し、前を向いて一歩一歩着実に進もうと思う。

「当たり前」を失ったけど、巡り合いの不思議に感謝している

なにより「当たり前」だった日々が壊れてしまったことは悔しい。しかし、疾患を患ったからこそ人の温かさ、優しさを再確認できた。それと同時に、巡り合えた人たちもいる。
いつか、自身の経験を活かし、温かく、患者さんの気持ちに真の意味で寄り添える医療者になりたい。
そう思わせてくれた、疾患ありがとう。
「当たり前」のありがたさに気づかせてくれた疾患ありがとう
温かい言葉のシャワーをかけてくれた人達ありがとう。
私に、巡り合ってくれた人たちありがとう。

巡り合いの不思議に心から感謝。