「食」に重きを置いている。美味しいものを口にする瞬間が、私にとって幸福を強く感じるときだから。毎食、何が食べたいかを自問自答し、真剣に調理をする。上手いこと食事の時間ちょうどに、出来立てを食卓へ並べられると大変満足する。

いただきますをしてから、さあ一口目。まっさらな味覚でメインからしっかり味わうか、スタンダードにお味噌汁へ行くか、採れたて野菜で作った副菜の繊細さを感じたいか。その時の気持ちをしっかり汲み取り、私のやりたいように食べ進める。完璧にことが終われば、ちょうどいい腹具合と多幸感。ごちそうさまと歯磨きまでがひとセットだ。

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私にとって食事は、自身と食材に向き合う時間。だれかと食べるのも悪くないけど、それは他者とのコミュニケーションを楽しむ時間だ。私にとって食事の時間ではない。
問題は、家族との食事である。まず、我が夫。最近はほぼリモートワークの彼と毎日三食を共にしている。夫のいる食卓でも長年の慣れなのか、私は自分に集中できる。食事のときこちらが無口でも彼は気にしないのもありがたい。

ただ、奴はめちゃくちゃおしゃべりだ。話題のニュース、仕事の話、今やっているゲームの攻略状況、その他もろもろ。自分の中の情報を一度アウトプットしたいだけのようで、私が味覚に集中して生返事でも気にせずしゃべり倒す。そうするとたまに、私もとても興味のある話題が飛び出す。こうなると今回の食事は100%満足に至らない。意識をお箸とお皿からおしゃべりへ切り替え、会話をしつつ適当に咀嚼する他なくなる。

毎食ではないのだが、いつこれが起こるか予測できないのが嫌だ。家族とのコミュニケーションと自分の食の天秤。比べるのも違うと思うけど、でもやっぱり、私の食事を邪魔してくれるなと思ってしまう。

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そして、我が家の2歳児。いわゆるイヤイヤ期真っ只中のお子様は、大変こだわりが強い。真の意味で食べたいものしか食べないし、急に飽きて遊び出すし、かと思えば大好きな牛乳が飲みたいとお茶の入ったコップをひっくり返す。

食事はできる限り、家族揃って取るようにしている。そのため自分の食事なんて後回し。夫婦二人が必死になってお子様の要望に対応していく。仕方のないことだし、子どもが楽しく食事をできればいい。そこにストレスはないが、最近、困ったこだわりが出てきた。
ぴっ、と指をさす。私のスープが入ったお皿に。そして期待した目でこちらを見る、可愛い子。今これを食べて、という意味だ。何故だか、我が子は私に特定のものを食べさせたがるときがある。すぐに叶えなければ加速度的に機嫌が急降下し、恐ろしいことになるのですぐに食べる。ご満悦なお子様。しかし、自分の食が思い通りにいかないストレスが私の内心を荒らす。

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食事の流れに手を入れられるのは、血を分けた子であっても許容できなかった。こればかりは早くイヤイヤ期が終わることを祈るしかない。あと半年くらいだろうか、我慢して親をするべき試練と耐えている。

ひとりで納得のいく食事をとれるのは、ずいぶん先になりそうだ。来年には二人目のお子様が爆誕する予定でもあるし。それでも、現実と折り合いをつけつつ、生きる糧を摂取していこう。