高校生のとき、私は最強だったと思う。といっても、クラスでイケイケだったとか、文学コンクールで優秀賞をもらったとか、そんなことはない。
ただ、部活をやって、友達とファストフード店で夜まで喋って、たまにカラオケに行って。
別にすごくはない。それなりの学生生活。だけど、いつも声を出して笑っていた。今思い出すと胸が締め付けられるほど、まばゆく輝いている時間だった。

そんな邪魔されたくないひとときを否定したのは、時間が経って、いろんな限界や辛さを知った大学生の自分。
この確固たる説得力を持った邪魔者をやり込める方法はないだろうか。
大学生の終盤に差し掛かった私は近ごろ、湯船の中でにやけながら、自分とうまく付き合う方法を考えている。

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やりたいことが見つからず、「偏差値が高いから」と選んだ大学。成績順位は、下から数えたほうが早かった。自分が頑張ったつもりの試験でも、他の人はもっと良い点数を取っていた。
試験の結果を見て、嘆く声すら出せずに落ち込んでいるとき。周りからは、今日サークルに行くかどうかとか、誰かの家で夕飯を食べようとか、懐っこく笑ったり、甲高く話したりする声ばかりが聞こえてきた。その声を聞いて、ちょっとばかり備えていたであろう私の自己肯定感は、手や胸から、細かい砂のようにこぼれ落ちていった。

代わりに手に入れたのは、モヤモヤした不快な気持ち。だれかにこの気持ちをぶつけたら、少しは楽になるだろう。ターゲットになったのは、過去の私だった。
「そんなにはしゃいでバカみたい」
「遊ぶより、なんか有益なことしたら?」
大学から帰る電車の、気味が悪いほど明るい車内。スーツを着た人たちに挟まれて、教科書やパソコンが入ったリュックを胸の前に抱えながら。無邪気に笑う高校生の自分を、心の中でディスりまくった。

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今考えてみれば、多分、誰かに悩みを聞いてもらえば良かった。勉強がうまくいかないこと。大学の授業に興味が持てなくて苦しいこと。もっと他の方法で吐き出せたのだろうけど、大学でうっすらと孤独を感じていた私は、自分を否定する以外の案が浮かばなかった。

しかし、今の私はちょっと違う。ボランティアに行き、やりたいことの欠片を見つけた。一年ほど悩んだ末に、大学を変えた。どうにか、内定をもらえた。運良く、私を迎えてくれる人たちと出会えたのだ。
かつての大学で直面した壁や、耳に残った声は忘れないだろう。けれど、凄まじく楽しかった時間は過ぎても、苦しい思いをしても、バッドエンドには向かわなかった。ゲームで一度敗れても、セーブポイントに戻れるように。サイトのパスワードを忘れても、設定し直せるように。私の人生は終わらなかった。

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何も考えずに笑顔で過ごせた時間や、どうしようもない劣等感を過去の自分にぶつけた時間。色んな時間を越えて、大学4年の秋を迎える。
就職した後も、すごい人にたくさん出会うのは間違いないだろう。そのたびに、自分の小ささを痛感する。もう、高校時代のように、普通の出来事で笑えることはないのかもしれない。

どうすればつらいときに前を向けるのか。否定的な思考回路にならないのか。大量の汗をかきながら、思考を巡らせる。
そもそも風呂場で、素っ裸で考えるのがいけないのか。お風呂ダイエットのついでじゃなくて、座禅を組みながら真面目に考えるべきなのか。口角が、わずかに上がった。

かつてのような笑い声は数年出ていない。でも、生きている。辛い時間の後にも、笑える時間があると知っている。だから、次に過去の自分を否定する邪魔者が出てきたときは、別に批判しなくても生きていけるよって教えればどうにかなるのかもしれない。
とりあえず、そう結論付けた。