大学2年の春。地元を離れ一人暮らしをしていた私は、生活費を稼がなければならず、新しく居酒屋のバイトを始めることにした。
面接に行くと、店長が待っていて、目があった瞬間思った。
「この人と私、きっとこれから何かあるな」
そんな曖昧な直感は当たることになる。
◎ ◎
接客業が初めてだった私は、戸惑うことも多く、ミスをすることもあった。
だけどいつも優しくフォローしてくれたし、できるようになったことは大袈裟に誉めてくれた。
今考えると店長として当たり前のことをしていただけだよな……と分かるが、当時の私は大人の余裕を感じて「尊敬」するようになり、それがだんだん「恋愛感情」へと変わっていった。
転機が訪れたのは、バイトを始めて2ヶ月ほど経った頃だった。
「今度2人で会おう」と、あちらから誘ってくれたのだ。
バイト終わりにその日のメンバー何人かで飲みに行くことはあったけれど、2人で会ったことは一度もない。
誘ってくれたことが嬉しくて、その日が待ち遠しかった。
当日、「どこに行くのかな?」と楽しみにしていると、メッセージが届いた。
「会えるの遅くなりそうだから、家に行ってもいい?」
メッセージを読んで、即友達に連絡。
「え、やめた方がいいやろ」と友達。
そうだよな、と思いつつ、そんなことはわかっているけど会いたい!と葛藤する私。
結局私には、好きな人からの誘いを断る勇気がなかった。断って嫌われる方が怖かったのだ。
◎ ◎
家に来た店長と、お酒を飲みながら映画を見た。そのまま、一線を越えてしまった。
私にとって初めての経験だった。「やってしまった」という気持ちはありつつ、好きな人とできて嬉しい気持ちもあった。
当然向こうも好きでいてくれているのだろうと思っていた。
だが、人生そう甘くないと突きつけられることになる。
1週間後、店長の奥さんと名乗る女から電話がかかって来た。そう、店長は既婚者だったのだ。
何も知らなかった私は、頭が追いつかなかった。
パニックのまま会って話をすることになり、刺される覚悟で行ったが、奥さんは至って冷静で、私は自分のやってしまったことへの罪がだんだん重くのしかかってくる感覚に襲われた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
横を見ると店長は、死んだ目で座っているだけだった。
何も守ってくれなかった。
「この人は自分のことしか考えていないんだな」と悟った。奥さんのことより、私のことより、自分が1番大切なのだと。
それに気づいた瞬間、なぜか震えていた手は止まった。
現実は甘くない。自分の身は自分で守るしかない。たくさんのことを突きつけられた時間だった。
涙は一滴も出なかった。
◎ ◎
好きな人を失ったのに、私が泣かなかった理由はなんだろうと今更ながら考えてみた。
きっと、店長が自分のことしか考えてないと分かった瞬間、「尊敬」が消えて、同時に「恋愛感情」までもが消えてしまったからではないだろうか。
人を好きになる上で「尊敬」できる部分があるかどうかは、かなり大事なことだと私は思う。
それが、あの死んだ目を見た瞬間消えたのだ。
これ以上この人に何かを求めても、何も返ってこないと、若かった私でも気づくことができた。
「人は鏡」「類は友を呼ぶ」
その通り。私は未熟だった。
最初の恋はあっけなく終わってしまったが、「尊敬」できる人と最後の恋ができるよう、過去を反省しつつ今は自分磨きを頑張りたい。