小学2年の2学期の終業式。
その日はクリスマスだった。
体育館に全校生徒が集合して執り行われる式。これが退屈だったという記憶は、全世代共通ではなかろうか。
明日から冬休みだ、という少し先の喜びだけを希望に、ただ時が過ぎるのを待っていた。

◎          ◎

校歌は式辞の後半にあった。
あと少しで冬休みだ。とワクワクを胸に隠し持ちながら歌っていた。
2番に差し掛かった頃、誰かに肩を叩かれた。担任の先生だった。
生徒達の歌声で書き消され気味だった先生の声は確実に、「ヒトウさん、早退しましょう」と言っていた。
意味もわからず体育館を抜け出す。
校歌を歌いながら横目で私を見る生徒達の視線が恥ずかしかった。

さっきとは打って変わって静かな校舎を先生と2人歩く。
そうか、今は全員体育館だから、なんの音もしない。
そこでは先生の声がよく聞こえた。
「おばあさんが亡くなったんだって。だからお母さんがヒトウさんを迎えに来てるの。みんなよりちょっと早いけど帰りましょう」
たくさんの荷物を持って下駄箱に向かうと、先生が言うとおり、母がいた。

学校と家は目と鼻の先だった。
家に着くと、仕事から帰ってきていた父がいた。母方の伯父もいた。
「ばあちゃん、死んじゃった」
母が言った。
学校でも聞いていた。だから帰ってきた。でも、改めてそれを受け入れたら、泣くのを抑えられなかった。
あれ?テーマと違うじゃないかって?
私はこの時から1週間、涙を流さなかった。
それを大人達はみな「薄情なこどもだ」と言った。

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暮れの不幸は慌ただしい。
年をまたぐと日程が延びすぎてしまうし、そもそも暮れは混んでるらしい。
たまたま各所のスケジュールがあって年内に済ますことができた。

その間、大人達は式の打ち合わせやら、香典選びやらで悲しんでる暇なんてなさそうだった。
そんな中、クリスマスにサンタさんから届いていたゲームボーイアドバンスでポケモンを一生懸命プレイしていた。
それを見て「こんなときによくそんなのやってられるな」と両親が言っていた。小声で言ってたから、注意とかではなかったのだろう。それがまた私の天の邪鬼を加速させた。

物心ついてからの葬式は初めてだった。
お焼香ってどうやってるんだ?
なんかお経って眠くなるな。
そんなことを考えながら過ごしていた。
知らないおばさんに「もっと一緒に居たかったわよね」と話しかけられたりもした。

告別式で、本当の本当に最後の挨拶をした。
棺に生前愛用していた物などを入れることもその時知った。
私は母の薦めで、幼稚園の時、敬老の日で作ってプレゼントした簡単な冊子を入れることにした。紫の表紙の冊子。
式を執り仕切るお姉さんに、「それ、お手紙?ちょっと読んで聞かせてくれる?」と言われたが、お手紙ではないし、親戚相手にも極度の人見知りをする私は無言でかわした。

◎          ◎

最後の最後の挨拶を終え、テーブルでその時を待つ。
私の隣に尼さんが来た。母方の家系はその尼さんにお世話になっていた。

尼さんは親族達に挨拶をしていて、その内容は小2の私にはよくわからなかった。
そんな私に尼さんは缶の入れ物のチョコをくれた。
無言で受けとる私に、「ほら、ありがとうございますくらい言いなさい」と、式場らしい声のトーンで父は私にきつく言った。
それでも私は何も言えず、貰ったチョコを眺めていると、
「おばあちゃんがいなくなっちゃって、さみしいね」
と、私の背中をぽんぽんと優しくさわった。
その瞬間、涙が溢れて、溢れて溢れて止まらなくなった。
えずいてしまうくらい泣き続けた。
大人達は、まさしく鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしていた。
「急に会えなくなっちゃったもんね」
と、尼さんだけが私の全てを知ってくれているような気がした。

ただゲームに夢中になってた訳ではない。
子供ながらに気丈な振る舞いをしていたのだ。
不器用で無愛想だから伝わってなかったみたいだけど。
悲しくない訳がないじゃないか。
親でもわかってくれない。いや、親だからこそ「こんな時に」と思うのかもしれない。
だって親の親が死んだのだから。

あの時の尼さんの言葉と、背中で感じたあたたかさを、私はいまだに鮮明に思い出す。
そして、そのすぐそばにばあちゃんがいたような、そんなに泣くなと言っているような感覚も。

次に会ったばあちゃんは、私が入れた冊子の紫を、からだの一部に染めて答えてくれていた。