卒業式くらい、仲の良い友達の側に座らせてくれたらいいのに。よく知らない偉い人の退屈な祝辞を聞きながら、ぼんやりそう思った。
正直これは学生あるあるだと思うが、名簿順の前後の人とは入学式で仲良くなるが、その後の学生生活では大して関わらないことが多い。私の高校はクラス替えもなく、3年間同じ並びだったので尚更そうだった。
みんなが不安がちな入学式、とにかく近くの人に話しかけて自分の居場所を確保しようとするが、結局3年間、長期休暇を除く週5日同じ人間達と過ごすのだから、そんなに焦る必要は無かったことにあとから気がつくのだ。
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そんなわけで、私はいつの間にか疎遠になった少し気まずい友達に挟まれて座りながら、あとどれくらいで開放されるかとしきりに時計を気にしていた。
右隣の友達は既に涙ぐんでいて、それが少し羨ましかった。彼女は高校生活をやりきったのだろう。卑屈になることなくひたむきに努力を重ね、未来への期待と不安を胸に抱きながらも、級友との別れを惜しむ気持ちがあるのだろう。立派な人間だなあと思った。
左隣の友達はささやくように話しかけてきた。
「〇〇大学合格したんだってね、おめでとう」
ありがとう。私はあなたにその話をした覚えはないけれど。このクラスにはそういうところがあった。3年間変わらない顔ぶれはいつの間にか村社会化し、噂話と陰口が絶えず、聞きたくなくても友達が誰と付き合ってるとかあの子の家庭はどうだとか、そんな話ばかりが耳に入ってくるのだった。
私は勉強に集中するために三学期は1日も学校に来ておらず、卒業式の朝――つまり今朝、2、3ヶ月ぶりに友達に会って初めて進路が決まった話をしたのだった。改めてこのクラスの嫌なところを思い知らされるとともに、卒業式の解放感がより強まった。
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卒業式が終わり体育館から出るとき、玄関に先生達がずらりと並んで拍手を送ってくれた。会う度に呼びかけて手を振っていた大好きな先生もいた。私は目も合わせなかった。
学校という閉鎖的な空間だから好きだったのであって、この先広い世界を見ていけば先生を好きだった気持ちも思い出せなくなるだろう。そんな直感があった。なら後腐れなくていいだろう。
教室ではみんながおおはしゃぎしていた。国公立大を受けた人達はまだ結果の出ていない時分だったので、はしゃぎきれない様子だった。私立大や推薦入試の人達は明るく浮かれていて、車の免許をとった話や軟骨にピアスを開けた話をしていた。いい感じになっている男女もいたし、スマホで自撮りしまくってるグループもいた。先生が一人一人にメッセージカードを渡す感動的な時間にも、私はなんだかぼんやりしていた。
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私は学校があまり好きではなかった。勿論友達は大好きだったし、好きな男の子もいたが、出来れば行きたくない場所だった。
学校には同世代の人間がごっちゃに詰め込まれて、その中で順位をつけられて、当時発達していたSNSも駆使しながら、みんな日夜自意識を闘わせていた。より輝いた方の勝ち、より充実している方の勝ち。だから周りが気になって仕方ない。だから噂話が絶えない。正直うんざりだった。
とはいえ誰かに負かされるのも気に食わない。馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、私も人と競い合う一人だった。なんだかすごく情けなかった。
でももう卒業だ。ここにいる誰とも二度と会わないでおこうと思えばそうできるし、苦手な人と上手くやっていく必要ももう無い。気に食わないことは気に食わない、それでいいのだ。
思えば仲の良い友達は誰も泣いていなかった。みんな同じようなもんだったのだろう。清々しさしかなかったのだ。