彼は、私の友人たちから嫌われている。自分勝手だの、最低男だの、言われようは本当に散々だ。「そんな男、今すぐ別れろ!」と、何人にも言われた。
それでも、私たちは愛し合っている。私も彼もお互いを大切にしているし、ちゃんと毎日幸せだ。
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1年前は違った。大好きな彼から「好きだけど、君だけに絞りたくない」とある日突然告げられたのだ。
「君のことは大切だよ。だけど常識に囚われて、自分の可能性を狭めたくない。恋愛対象を一人に絞る必要はないはずだ。複数人(性別問わず)と関係をもつことで、見える世界が変わると思う。恋愛に限らず、固定概念を疑うことで、人生を豊かにしたいんだ」
全く意味がわからず、ひとしきり泣いた後に、ネットであれこれ調べてみた。“ポリアモリー”という単語に辿り着くのに、そう時間はかからなかった。
“ポリアモリー”とは、複数人のパートナーと、合意の上で関係を持つ恋愛の在り方を指す。
社会的にはまだ少数だが、世界中でそういった恋愛観を持つ人がいることを知った。浮気や不倫とは違って、全員に対し真剣に愛を育んでいるのが、ネットの情報だけでも伝わってきた。
「なるほど、彼はポリアモリー的思考を持っていて、それは私とは違う恋愛観なんだな」
そう理解して、今度はカルチャーショックを受けて静かに泣いた。
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友人に相談すると、皆、私を思って悲しみ、彼のことを責めてくれた。小さな自尊心は満たされたが、気持ちはモヤモヤしたままだった。
確かに私は、彼のことで枯れるほど涙を流した。だけど、彼の恋愛観を否定したくはない。私にも私の恋愛観がある。私たちがどうしたら寄り添うことができるのか、数週間じっくり考えた。
そして私は、
「あなたの価値観を受容できるかどうか試したいから、早めに実践してみてくれない?」
と彼に提案した。
ポリアモリー的思考自体は興味深いし、もしかしたら、私も意外と容易に受け入れることができるかもしれない。
ただ、私には一応女性としてのリミットがある。当時の私は結婚もしたかったし、子どもも欲しかった。彼とならできると思っていた。
もしポリアモリーを受容できなかったら、彼と一緒に居続けるのは無理だ。仮に受け入れられたとしても、結婚相手に選ばれなかったら悲しすぎる。だから早めに実践して、早く判断したかったのだ。
それに、彼がポリアモリーを本当に実現できるのか、私はこの目で見てみたかった。彼は多忙な人だし、器用なタイプではない。その中で、愛する複数人に割く時間と体力をどう生み出せるのか。未だ見ぬ愛の可能性を信じるなら、本気で行動してみろよ、と私は半ば熱血教師のようだった。
彼はその提案が面白かったらしく、しばらく笑っていた。
「受け入れてくれて嬉しいよ。ありがとう」
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それから、恋愛の在り方や多様性について、私たちはよく話し合うようになった。恋愛の哲学書を読んだり、恋愛や性の歴史を調べてみたりした。
“異性同士の一夫一婦制”は、当たり前なのか?結婚をする意味は何なのか?なぜ人は恋愛をしたがるのか?
朝まで話し込んだこともあるくらい、真剣に恋愛について考えた。
次第に、二人の関係性ももっと柔軟であるべきだと思うようになった。私も彼も、お互いに別の価値観がある。ならば、それぞれを尊重しながら、バランスをとって寄り添い合っていけば良いのだ。
なんやかんやを経て、今、私たちは本当に愛し合っている。
だがそれは、彼がポリアモリー的思考を断念したからではない。二人の中に“自分たちなりの恋愛観”が構築されているからだ。
側から見れば普通ではないのかもしれないが、それでも良い。私たちは、お互いの価値観を大切にしながら、二人にとって最良の選択をしてきた。その積み重ねが、二人の関係を強くしてきたのだ。
愛は、独善や忍耐からは生まれない。受容し合うことこそが愛なのだ。
二人の力で創造した愛は、しなやかで強い。私たちは、きっともう何でも乗り越えられるだろう。たとえ将来彼と離れてしまったとしても、この恋愛は、私の人生の糧になるはずだ。