息子がお昼寝をしている間に、中学の頃すごくハマったアニメが無性に観たくなり、観返していた。当時夕方に放送されるようなアニメは観ていたが、これは深夜に放送していたものだ。
どうしてその作品を知り、観ようと思ったかは全く覚えていないが、初回の放送から楽しみにしていたのは覚えている。家族と共同のテレビでは少し驚くようなタイトルのアニメだったのだが、家族はそれを何も言わず、そっと見守ってくれたのだなと思う。
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1話を観始めると一気に当時の自分の感覚が蘇ってきて、「これはもうハマった」という衝撃をまた味わうことが出来た。
放送の翌々日(深夜の放送の為、観られるのは翌日の放課後)の朝一番に、友達とハイテンションのマシンガントークを繰り広げていた。それは中学に入ったばかりの4月で小学校から中学校への環境が変わり、クラスも同級生も倍になった頃だった。慣れない中学校生活の中でなんとなく関わる友人も少し変化があった。
私は自分から誘うのが苦手で、クラス替えの度に仲良しグループが変わっていて、ずっと仲良しだった友達があまりいなかった。けれどこの子とは小学校から変わらず、ずっと仲の良い数少ない貴重な友達だ。
帰り道も他の話をしながら、それぞれの家へ帰る分かれ道で長々と話すうちの7割はそのアニメについてだったと思う。初めてマンガやアニメグッズを集めるようにもなった。それくらい毎週の放送が楽しみだった。
今から16年前の録画方法は時間を設定するか、番組の番号を入力して行うもので、突然の放送時間変更にたまに対応しておらず、何話かは見逃していた。その翌日、友達に「録画出来てなかったー」と悔しさMAXで話していたところを、クラスの中のとある男子に見られていた。そして「俺は観られたよ」とボソッと言ってきた。その男子とは普段はあまり話すことがそれまでなく、それをきっかけに少し話すようになった。
16年経った今でも、アニメを観ていたら友達とあんなこと話していたなとか、この放送があった時あそこに遊びに行ったなぁ、観ている最中にお父さんが帰ってきて一緒に観ることになってしまって少し気まずかったなとか思い出すことが想像以上にあった。
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3年前の結婚した時に大きな断捨離をした。たくさん集めていたCD・DVD・マンガ、溜め込んでいた洋服・旅行先や舞台のパンフレット・思い出の品などを数えられるくらいまで手放した。
新しい環境で、それまでと変わった生活スタイルのおかげでなくても困らなかった。手放したことで余白が出来て、新しい事も始められた。だが、最近無性に手放した物や、小さな頃好きだった作品たちにまた会いたくなることが増えてきた。
ネットのサービスですぐに借りられるし、観る事が出来るので便利だ。昔好きだったものに触れていると、なんとなくその時の自分にも会える気がする。アニメの中での出来事が、そのまま私の価値観になっていたり、感動するポイントが変わっていなかったりして、あの時に受けた影響が今の私にとても影響しているのを感じた。
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毎日を生活しているとなんとなく繰り返しで、大きな変化は目に見えない。だが実際は同じ日なんてなくて、唯一無二の毎日の繰り返しで今まで生きているのだと思うと、過去に受けた影響は大きく、時間が経つにつれて自分の中でどんどん変化していき自分の一部になる。
断捨離をしていた時はとにかく身軽になりたくて、思い出も減らそうとしていた。
だが思い出は減っておらず、むしろ物が無くなってからの方が何かのきっかけに思い出すことが多い。その時は「手放さなければ」という気持ちが強かったが、今は断捨離を経験したおかげで両方の感覚が共存していると思う。
物を取って置くことは思い出を大事にする事かもしれないが、私にとっては物が思い出の引き出しのような感じでもある。たまには思いっきり昔の自分が好きだったものを思い出して、どっぷり浸かる時間を大事にしていきたいと思った。