小学生の時、私は吹奏楽部に所属していた。金管バンド部が一般的に小学校に普及していた私の市では3つしかない吹奏楽部は珍しく、重宝されていた。
私は母がもともと経験者であるため、楽器を持っているからという理由で第1希望のフルートを担当することができた。当時、入部前の小学4年生の女の子たちは可愛くて目立ちたい、キラキラした子が多く、花形で音が綺麗なフルートはとても人気が高く、第1希望者は8人いた。
そんな中で私が楽器を持っていることで優遇され、フルートに配属されたところから全ては始まっていたのかもしれない。

私は下手くそだったんだと思う。楽器の吹き方をいつも注意されていたが、具体的に「こうすれば良くなるよ」というようなアドバイスをされることも無く、いつも音色の悪さに嫌な顔をされて指摘されるだけであった。

同じフルートの部員から、いじめを受けるようになった

吹奏楽部に入って1年経った小学5年生の時、私は同じフルートの部員からいじめを受けるようになった。いつも通りの日々に少しだけ違和感を感じる毎日が始まり、徐々にエスカレートしていった。

吹奏楽部では同じ楽器のことを同じ「パート」と呼び、パートごとに違う教室で練習をすることが多かった。パート練習の時、私以外のフルート部員はみんなで申し合わせて、笑いながらさっさと移動してしまった。残された私はぽつんと1人で、いくつか思い当たる場所へ必死に考えを巡らせていた。
よく使っていた教室のうち1つのドアを勢いよく開けると、案の定フルート部員の皆がいた。「怖っ」とくすくす笑ってずっとこっちを見ていた。そこから私は1人で練習をしたのか、皆の輪に混ざったのか覚えてないが、とにかく帰りたかった。
部活を辞めたかった。消えてしまいたかった。その頃は帰ってから毎日家で泣いていた。よく生きていたな、と思う。

私をいじめてきた皆が泣いている。私だけ涙が出なかった

秋になり、その年も全国大会に出場した。私の部活は結構強豪で、小学生レベルではあるけれど毎年全国大会に出場するほどには実力があった。
その年は確か何か事情があって、大会当日ではなく後日全員が音楽室に集められて大会の結果を聞かされた。よく覚えていないが、決勝には行けなかったんだなということを知らされたのは覚えている。

周りは皆泣いていた。最後の大会で決勝に行けなかったフルートの先輩たちは皆、号泣していた。私を普段いじめていた同級生も目を真っ赤にして泣いていた。泣いていないのは私だけだった。
普段からされていることを思い返したら、涙なんて出なかった。泣いているフルート部員たちがただただ気持ち悪くて仕方なかった。人に泣かせるほど嫌な思いをさせている自分たちを棚に上げて、自分たち各々の言動で、行動で傷ついている人を見ないふりをして、大会の結果という1人だけのものでもない漠然としたものに対して涙している皆が化け物のように思えて鳥肌が立った。
私1人だけ、周りを見ないように、泣いている部員を目に入れないようにして1人で自分の教室に戻った。

私の「告発」に、手のひらを返してきた同級生たち

後日、耐えきれなくなった私は泣きながら吹奏楽部の顧問に事情を打ち明け、面談をすることが決まった。顧問がフルート部員の前で面談の確認をすると、フルート部員は皆、凍りついたような顔をしてにわかに優しくなった。気持ち悪かったので適当に愛想笑いをしてあしらっておいた。
今更仲良くしようなんて虫が良すぎる。されてきた悪魔のような嫌がらせを一つ一つぶちまけてやろうかと思った。
翌日、特に酷い言動を浴びせたり嫌がらせをしてきたりした同級生Mが「私はあなたに何もしてないよね??何もしてないから先生には何も言わないで!!!」とわざわざ私の教室まで言いに来た。呆れた。心底気持ち悪いと思った。面談ではMのことは特に丁寧に説明した。

その後いじめは無くなったが、当時のことは10年以上前のことでも深い傷となって私の記憶にこびりついている。それでもあの時泣かずにいじめてきた人たちを軽蔑できたのはあの頃の私の勲章だと思うし、弱りきっていた心に差し込んだ一筋の強さという光だったと思う。
あの頃の私に会えたらきっと号泣してしまうと思うが、「頑張ったね」と言って抱きしめてあげたい。