「立ち直るまで、1年くらいかかったかなあ」
友人はコーヒーを飲みながら、今からかれこれ7〜8年前の大恋愛を思い出す。
美人で人気者で性格が良くてモテモテの彼女は、私の大学時代の友人だ。

イケメンの彼氏と、燃え上がるような恋をして、振り回されて、傷ついて、恋が終わった。
そんなの、誰にでもよくある話だと人は笑うかもしれない。
でも失恋の苦しみは、そんじょそこらで膝を擦りむくような程度のものではないと私は思う。

◎          ◎

明日を生きていけるか分からないくらいの、一生物の痛みだ。
そして人は一生物の傷を綺麗に完治させてから前に進むのでもない。
傷跡は、学びの勲章として一生残り続けるのだ。
全ての傷を綺麗に治して、赤ちゃんのような美しい肌で人生を生き続ける人なんていないと思う。
皆、傷跡とともに、「美しい」の意味を飛び越えて生きてゆく。

「そっかあ、私も早く立ち直りたいなあ」
私はその時、10年近く一緒に苦楽を共にした夫との離婚を考えていた頃だった。
私は恋多き女ではなかった。
だから、失恋の痛みがあまりに新鮮で、痛烈で、苦しくて、失恋した際のガイドブックか何かを欲していたんだと思う。

とにかく正解がほしかった。お手本が欲しかった。
そんなもの無いと分かっているからこその気持ちかもしれない。
「1年いろんなことがあったらさ、いつの間にかどうでもよくなるよ。そのかわり1年は苦しんだなあ」
友人は「時が解決してくれることもある」と言う。そこでふと思う。
人間は「忘れる」という能力を持っている。
忘れることが出来るのだ。

◎          ◎

その時どんなに幸せだったことでも、ショックだったことでも、新しい出来事に上書きされてしまえば、大したことのないものに思える。
また、あまりにストレスフルで心身に大きくダメージを受けた思い出も、自分を守るためにすっぽり忘れてしまうこともある。

友人は自分の能力に身を任せて、失恋の痛みを忘れることが出来たのだ。
そしてきっと、色んな人が、時間をかけて、忘れて、前に進んでいく。
新しい恋を見つけていく。

私もいつか忘れられるだろうか。
人生をかけて散々すれ違い、散々裏切り、散々裏切られ、散々傷つけ合い、散々想った人が犯した過ちに対する怒りを。私が犯した過ちに対する怒りを。
いつしか感情を上手く忘れることが出来、事実だけが残った時に、思えるだろうか。人は過ちを犯すものだと。

◎          ◎

私も、夫も、ただの人間だったのだと。そして許せるのだろうか。
夫のことも、私自身のことも。忘れたいことは、自分の能力を受け入れて、時間をかけてゆっくり忘れればいい。
でも、いくら時間をかけて忘れたいことでも、上手に忘れられないこともある。
何年経った後でも、思い出して心が痛むことがあるかもしれない。

そんな時、私だけ過去に縛られたままなのだと嘆くのではなく、そういう思い出は、人生のギフトなのだと思いたい。
忘れるという能力に抗ってなお、自分の中に留まり続けようとする思い出こそ、何か大切なことを自分に伝えようとしているのだと思うから。
そこから学べることが、まだまだあるのだと思うから。