平成までに生まれた人であれば、初めて買ったCDの話になったことがあるのではないだろうか。私は小学生の頃にモーニング娘。が大流行し、中高生の時はみんなウォークマンやiPodを通学中に聞いたミレニアム世代である。
そんな私がお小遣いで初めて購入したCDは、ポルノグラフィティのジョバイロ。小学校6年生だったと記憶しているが、このCDを擦り切れるまで聴き入ったと言われたら、歌詞を知っている人は引き笑いをするかもしれない。そう、これは不倫の歌なのだ。

この歌を常に口ずさんでいた私を見て両親がどう思っていたのかは今更知りたくないが、私はCD付属の歌詞カードをじっと見て、意味を一生懸命理解しようと努めていた。
はっきりとは覚えていないが、「かっこいい歌だな」と思っていたのは確かである。さすがに「いつかこんな恋愛をしたい」とまで思っていなかったし、現実にこのような恋愛をすることはなかった。

だが、恋とは、自分主体の感情活動なのだと学んだのはこの曲だった。恋に落とされたのだと、感情なり人のせいにしつつ、相手がいなくても育っていく感情こそが恋なのだ。つまり、自分一人でもできてしまうではないかと。

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小学生の頃からずっとそんな曲を聞いていたためか、私は恋愛にある意味消極的で、そして積極的だった。自分が恋愛をほとんど経験することはないくせに、友人の話を執拗に聞きたがり、恋愛映画を貪り観た。もはや内部である経験よりも、外部からの知識を得過ぎたために頭でっかちになった。恋愛を客観視し過ぎて、いざ自分の前に機会があると認識しても、「恋愛はこんなんじゃない」と逃げ惑い、高校生のいつからか、恋愛の中に入ることを避けるようにまでなった。

その恋愛逃げ腰体質を解決してくれたのは時間だった。中高時代に淡い恋愛をしてから、本格的に自分の中に恋心を迎え入れた大学3年生の冬まで、約5年間の時間を要した。
この5年間の内訳は全く分からない。何が自分の中で整理されたのか、どうして自分だって主役になると再発見できたのか、きっかけになる出来事はなかった。
まさしく時間だけが、私をまた恋愛のステージに連れて行ってくれたのだ。そして、自分が常に主役となるこのステージで、今でも現役として相変わらず恋愛を楽しんでいる。

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きっと、恋愛頭でっかちになった私は、「恋愛なんて人の中に自分を探すものなんだから、一人劇をしているのと同じ」と朧げに思っていたのだろう。はっきり言葉でそう認識したのはもう少し先だったが、長らく恋愛に失望していたのだ。
それが様々な経験をするうちに、時間が経つうちに、一人劇の何がいけないのかと考えが反転した。時に愚かに、時に情熱的に恋愛に身を沈める姿が、いつの間にか「ダサい」から「愛くるしい」と印象を変えた。

ジョバイロには「銀の髪飾り」という言葉が出てくる。私はこの言葉が大好きだったし、今でもこの言葉の意味を探している。金ではなくて銀。時に揺れ動く髪飾りが意味するものはなんだろうと。時に鏡になるような、そして武器にもなるようなその言葉に異常なまでの魅力を感じている。
だから、時が取り戻してくれた恋心を迎え入れた記念に、お気に入りの銀の髪飾りを購入した。それは今でも私の黒髪をまとめ上げてくれ、ここぞという時にパッと外してその重みを感じている。これが恋の重みかと。