「もがく姿は、美しい」
ドMな陸上部の恩師から頂いた、私の大好きな言葉だ。
どんな時も、走って(頑張って)苦しくて、もがいている時(挑戦している時)だけが、私の生き甲斐だ。
人それぞれ生き甲斐と感じるもの、楽しいと思えること、やりたい・続けたいと思えるものは、違って当たり前だ。
私にとって「生きてるぅ〜」と、目で見て・鼻で匂いを感じて・耳で音を楽しみ、日々の細やかな変化を感じられる時は、いつも「走っているとき」だ。
そんな走る喜び(私だけの楽しみ)を、私の周囲は理解してくれない。
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気付いたら走っていた中学生時代。
8年間続けた剣道から興味が、血の気が引くように一気に「走ること」へと変わった。
目標に向かって練習に励む熱い仲間さえいれば、炎天下の真夏の練習も白い息が見える冬の練習も、そんなのどうってことなかった。
仲間と走れる楽しさが、「もがく」苦しみを分かち合える喜びが、私の「走ること」(生き甲斐)の全てだった。
恩師の褒め言葉や時には厳しい喝も、私の「もがく」原動力だった。
そして気付いたら、私も「もがく」(粘り強く物事に取り組む)ことの大切さを身に染みて感じていた。
私はただただひたすらに、「走ること」に夢中になっていた。
高校・大学と部活には属していなかったが、「Natto、走り続けるんだぞ!!」という、恩師が中学卒業の時にかけてくれた言葉を胸に、私はひたむきに細々と走り続けた。
毎年、地元の大会には欠かさず走っていた。
「走る、もがく」楽しみを知るにつれて気付いたら、「大学生になったら、フルマラソンに挑戦する!」という意識の高い目標まで立てていた。
初めて挑戦するフルマラソンに向けて独り黙々と、授業の合間を縫って・放課後・バイト終わりの暗い夜でも、迷うことなく走り続けた。
その努力も実を結び、20歳の秋に初めてのフルマラソンを3時間半で無事ゴールした。
そこから私は再び、「もがく」ことに、どっぷりハマってしまったのだ。
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走る楽しさや喜びを知らない周りの友達に、「走るの何が楽しいの?」とか、「走っている時は何を考えているの?」「何のために走っているの?」と、よく聞かれるが、私の答えはただひとつ……無心になれるから。
自分の心臓がドクドク一生懸命働いていて、荒い呼吸を全身で感じて、手と足が走るリズムと共にもがいているのを体感すること=「もがくこと」こそ、きっと誰にも理解してもらえない、私だけの「楽しみ」=「生き甲斐」なのだ。
日本で社会人だった時、なかなかラン友を見つけるのに時間がかかった。なぜなら、中学の頃一緒に走っていた仲間は、みんな「走ること」からすっかり離れてしまっていたからだ。
結婚を機にアメリカに引っ越してきた今、私の周りは最高の尊敬するランナーの仲間であふれている。そして、その一員になり、みんなで走れる環境があることに感謝しきれないほどの喜びを私は覚えた。
性別・年齢・国籍関係なく、切磋琢磨するランナーを見ては、「なんて、もがく姿は、美しいんだ……」と。
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私は周りが走り続ける姿を見ては、「生きるパワー」をもらっているが、「いつか私も周囲にとって、そんな素敵な存在になれるように……」と、今を一生懸命走ってもがいている。
そしてこれからも、細々と、自分のために「もがき」、周りにとって「太陽のように周囲を明るくする存在」になれるよう、ひたむきに走りもがき続ける。
周囲に理解され難い私だけの「楽しみ」……。
そう、「もがくこと」で、私は私の人生に生きる意味づけをするのだ。