29年生きてきて思うことがある。
この世で一番怖いことは死ぬことであって、死ぬこと以外で怖いと感じることがあれば、それは未確認だったり未経験だったり未知だったりするから怖いのだと。
つまり、「分からない」ということが「怖い」という感情を引き起こしているのではないかと思うのだ。
だから、その「分からない」を解明したり経験してしまえば、「怖い」ものではなくなり、単なる事実だったり、出来ること、出来うることになるのだろうと思うのだ。

こう思う背景に、ある思い出がある。
自分の夢に、大人になってから向き合ってみたのだ。
社会人3年目、ここからやっと一人前になれる、というフェーズで私は会社を退職した。
ついていけなかったとか、仕事内容が自分に合っていなかったからだったとか小さな色々理由はあるが、一番は自分の夢に向き合いたいからだった。

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私は小さい頃から書くことが好きだった。
小学生の頃は自作の小説を書いて友達に配るという、今思えば恐ろしい黒歴史につながる行為を繰り返していたのだが、とにかく空想することやそれを言葉で表現することが好きだった。
でも、ある日恋を覚えたことで、私の人生には空想に耽る時間も心の余裕もなくなってしまった。
頭の中のファンタジーよりも目の前のリアルなドキドキの方が思春期の私にとっては刺激的で、とにかく恋愛にのめり込んだ。
そうして私は何年も書くことを忘れていた。

受験とか、就職とか、結婚とか……自分が本当にやりたいことに向き合う暇もなく、10代が終わり、20代も半ばに差し掛かっていた。
初めて就職した大企業で忙しい日々を送りながら、「いつになったらやりたいことをやれるんだろう」と漠然と頭の中で疑問がぐるぐると渦巻いているのに気がついた。
でも、その頃には自分のやりたいことが何だったのかすら思い出せなくなっていた。
そんなある日、あまりの忙しさやストレスに耐えきれず、退職を決意し、「今度こそ自分のやりたいことをやるぞ」と心に決めた。
そして、自分と徹底的に向き合うと決めた無職の期間で私はやっと、ずっと書きたかったことに気がついた。

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でも、書いたものをどうする?ネットに上げたりしたらまた黒歴史を作ることになるかもしれない、恥ずかしい思いをするかもしれない、怖い思いをするかもしれない、ひどい事を言われるかもしれない。その時ふと思った。
何、完璧を求めているんだろうと。
ただ書きたいから、書く。
それでいいじゃないかと。
それで案外面白くなかったら辞めればいいんだし、やっぱり書くより音楽の方がやりたい、っていうんだったらそっちをやればいいし、とりあえずやってみればいいのだと、勇気を出してエッセイを投稿してみた。
結果、何も起きなかった。悪口をコメントしてくる人も、自分の中に後悔が生まれることもなかった。
ただ、やっと書けた、ただその達成感だけだった。
なんだ、こんなことを私は踏み出せずにいたり、見失ったり、わけもわからず恐れたりしていたのか。
なんだ、こんなことだったらもっと、なんだってやってみよう、そう思えた。

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これからどんなことを始めるにも、ほんのちょっとの勇気はつきものだ。
知らない店に一人で入る時も、新しいことを初めて見る時も、何歳になったって勇気は必要だ。
でも、どんな時だってその勇気が無ければ何も始まらないという一見簡単で単純で当たり前なことを、私は大人になって深く学び直したのである。