3年前まで摂食障害を患っていた。過食嘔吐を毎日のように行い、体重が10キロ減った。最大の原因だったブラック企業を退職し、症状は寛解した。

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無茶食いをしなくなったし、喉の奥まで手を突っ込んで吐かなくなった。体重も少しずつ元に戻っていった。私を支えてくれた家族や友人たちは、その様子を見て安心してくれた。
でも、完治したわけじゃない。
時折、食べ過ぎたなと思うとき、どうしようもなく吐きたくなる。太ることへの恐怖が染み付いて落ちない。実際に行動へ移すことはそんなにないけど、まだある。膨れた胃が萎びる感覚が心地よいのも、摂食障害から完全に脱していないということだ。
体重が減少するほどではない。そのため他人から見れば、健康な人と判断されるだろう。それは私を支えてくれた周りの人もそう。中肉中背で常識的な量の食事をする私しか見せないから。

吐いた後は安堵と後悔に襲われる。良かった、太らなくて済んだ。
ああ、またやってしまった。こんなの、一番酷く痩せていた時期を支えてくれた人に顔向けできない。今も嘔吐してしまうことは、彼ら彼女らに対する裏切りだ。それでも、罪悪感すら表に出さないように、私は健康ですという顔をし続けている。知らなければ無いことと同じだから。
誰にもバレないように気をつけて、事を早急に静かに行う。後始末をきちんとして証拠を残さない。
いつまでこんなことを続けるのだろうか。トイレに流れていく無駄になった食材が積み重なる。肩にのしかかる。

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どうすれば、完治するのだろうか。適切な病院で治療を受ければいいのか。かと言って行けば家族にばれてしまうだろうから、この手は取りたくない。
家族の皆は、きっと私が完治することを望む。そういう人たちだ。だからこそ、私は申し訳なさで頑なになってしまう。
状況を変えることをせず、30歳、40歳と歳を重ねても、たまに嘔吐しているような気がしてならない。自分の身体への悪影響がすごいことになっていそうだ。消化器官がぼろぼろで、胃酸によって歯が溶けてる、みたいな。
太るイコール醜いことという価値観に縛られて吐いているのに、他の要素が醜くなっては本末転倒だ。

実際、私は歯が一本ない。銀歯を入れていた隙間から胃酸が侵入し、残念ながらお亡くなりになってしまった。見た目による美醜はナンセンスだが。自分で醜いと思ってしまうし、そもそも健康的じゃない。身体が壊れていく予兆にも感じられる。
手に吐きだこ、歯はすかすか。そんな未来があるのかもしれない。嫌だなあ、と思いつつやめられないのは、太ることへの恐怖が圧倒的に上なせい。

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太ったところで家族や友人の態度が変わることなんてない。そう信じられる人ばかり。あとは自分自身の嫌悪と忌避感をどうにかすれば、あるいは。結局のところ、私の価値観を変えるしかなく、自己に向き合うしかない。そこに周りの人の言葉は無意味だ。
支えてくれている人たちへの信頼は十分理解している。問題はこの先、信頼を受け入れ私の心を変えられるかどうかになっているからだ。
本当の意味で完治するときまで隠しきって、なかった事実にしてしまいたい。