告白しよう、私の隠し事を。
今まで、夜な夜な誰にも知られずにやって来たことがある。それの開催は不定期で、私の気が向いたら突然始まる。以前エッセイに綴った「書くこと」に勝るとも劣らない楽しさを、それは秘めている。
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その名も「黒歴史掘り起こし大会」。
命名者はもちろん私である。大会という名を冠しているが、実際には参加者ひとりのささやかな会だ。活動内容は、過去の自分の創作物を引っ張り出して、目を通してはその拙さに身悶えするというものである。これが、やめられないのだ。
第1回目の開催はいつだったか。おそらく中学生くらいだったと思う。そのころから、ノートに物語やら文章の走り書きやらを行うようになっていた。
学校から帰宅して、暇な時間はほぼそれに当てていたと言っても過言ではない。夜更かしを覚えたのもそのころだ。のめり込むとはこういうことなのだろうと思う。ずっとノートに噛り付いて思いつくままにペンを走らせていた(その割に実力が上がっていないのはひとまず置いておいてほしい)。
それは、頭の中で描いた物語を表現するためであったり、気に入った詩の一節に浸る時間であったり。独り暮らしをする際にかなりの黒歴史を処分したが、それも加味すると今まで使用したノートは膨大な数に上るだろう。
そこには、その時々に感じていた気持ちであったり、感性であったりが瑞々しく迸っていて、読むと身悶えするほど恥ずかしいのだが、それと同時にとんでもなく楽しい。
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過去の自分が書いたものだが、見返すたびに発見がある。忘れてしまっていた気持ちを思い出させてくれる。今の自分では思いつかないアイデアのヒントになったりもする。どうしようもなく青臭いその創作物たちを遡って、身悶えしながらひっそりと楽しんでいることこそが「私の隠しごと」だ。
口で言うだけなら簡単だが、この楽しさを理解してくれる人が果たしてどれくらいいるのだろうか。なんとなく、本能的に理解されなさそうな気がして、今まで誰にも話すことはなかったが。エッセイでなら面白可笑しく書けるのではないかと思い、ここに認めた次第である。
昔から、思考が頭の中をぐるぐると回っていた。悲しいこと、感動したこと、悔しいこと、嬉しいこと。それらを紙の上に起こすことで、頭がパンクする前のガス抜きをしていたのかもしれない。大人になって、自分に当てられる時間はかなり減ってしまったが、やはり「書くこと」も「描くこと」も変わらず楽しい。一緒に小説やイラストを作っていた友人は、大人になって創作をやめてしまった。一抹の寂しさを覚えることもあるが、私はきっと一生やめられないのだろうと思う。
書くこと、描くこと、作ること。これらはいくつになっても私の人生の各所にきらきらと存在していて、日常を鮮やかに彩ってくれる。上を見れば天井知らずなこの世界だが、私は私が楽しいと思える創作をこれからも続けていく。そして、黒歴史大会も夜な夜な開催され続けていくのであろう。