25歳。ドラマオタクでジャニーズオタク。彼氏いない歴もうすぐ4年。家族で経営しているお店は、かなり調子がいい。
休日は学生時代からの友達と、くだらないことをして遊ぶのが何より楽しい。仕事から帰ると、大好きなドラマを何本も見るのが何より幸せ。
好きな言葉と好きな歌詞を探し回る時間と、推しを愛でる時間さえあれば最高。
これが私の今の生活だ。
「私の今の人生に恋に使う時間はない」とさえ思う。

でも、そんなふうに思うようになった理由は、この充実する毎日だけではなく、22歳になる頃の忘れられない、忘れたくない『恋』にある。
この4年の間、引きずりまくった彼の話をしたい。

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私が彼と出会ったのは、高校を卒業して入学した県外の専門学校だった。
当時私は19歳。彼は30代後半。
そして私は『生徒』で、彼は『先生』だった。
ここから彼のことを『先生』と呼ぼうと思う。

私が通っていた専門学校は、今振り返ると俗に言うイケメンも多かったし、教師も生徒も明るくて優しい魅力的な人ばかりだった。
でも、その中でも先生は別格だった。
整った容姿はもちろん、無駄な力が入ってなくて親しみやすくて話しやすい。色気があって余裕がある。
そんな圧倒的な大人の魅力に19歳の私はノックアウトされた。
出会ってすぐに、私は先生の『ファン』になった。

そこから私の怒涛の『推し活』が始まった。
授業中はひたすらに先生の動画を撮り、授業が終わるとツーショットを撮りたいと迫った。生徒をさん付けで呼ぶ先生に、「私だけ呼び捨てで呼んでください」とお願いした。
授業がない日に学校で会えたら跳ねて喜び、何故かハイタッチを求め、カメラロールには先生専用のフォルダができた。
その頃の私はあまりに無敵で、思い出すだけで激イタだが、今の私からするとどこか羨ましくも感じてしまうほどだ。
そして何よりも驚くのが、話を聞くだけでも鬱陶しく感じるようなこの『推し活』に、先生はいつも笑顔で付き合ってくれたのだ。
今考えるとその時点で色々おかしかった。

専門学校の3年間、私と先生は『生徒と先生』で、私にとって先生は『推し』で、先生にとって私は『公認のファン』だと思っていた。
それ以上でもそれ以下でもないと思っていた。
それが変わったのは、卒業後だった。

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卒業後に起こった全ての先生との出来事は、まるで夢のようで、いちいち私の思考を停止させた。

LINEの友達に先生の名前が入った時は、何かの公式アカウントではないかと疑った。いろいろLINEを送ってみると、毎回違う返事が返ってきた。どうやら公式アカウントではないらしい。
友達との集まりにノリで誘うと、二つ返事で「行く」と答えた先生は、私の憧れの車に乗って来た。助手席に乗りたいと駄々をこね、初めて乗せてもらった時は、どこを見たらいいのか分からず、ただまっすぐ前を見ていたのを覚えている。
その日に地元に帰ると言う私に、「時間が空いたから会う?」と連絡が来た時は、バタバタと準備をして、重い荷物を持っているのも恥ずかしくないくらい浮かれて、先生の迎えを待った。

それから頻繁にLINEをして、何度かふたりで会って。
先生の連れていってくれる場所は、どこも素敵で美しくて、先生と食べるご飯は全部全部美味しすぎて、少しずつ乗り慣れてきた助手席から見る先生は、眩しいくらいに格好良かった。初めて泊まった夜の事は、今でも何度も何度も思い出すほどに、ずっと心の大事なところにしまっている。

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でも、夢のような出来事が起き続けたこの期間、私は一度も先生の気持ちを確かめることはしなかったし、私が先生をどう思ってるかを言うことは出来なかった。

先生が目を輝かせて話す話は、覚悟と経験と優しさで出来ていて、それは私にとって自分の若さと未熟さを痛感させられるものでしかなくて、「こんなに素敵な人が、こんな平凡な私を選ぶわけがない。私だけに笑ってほしいなんて言えない。私だけ助手席に乗せてほしい、なんて言えるわけがない。憧れの人だから、きっと私以外の人がお似合いだ」と、だんだん心の中はそれでいっぱいになっていった。
会う前は吐きそうなくらい毎回緊張して、会ったら幸せで満たされて、でも自分の弱さも痛感して、なぜだか凄く怖くなった。

今思うと、その苦しさはきっと『好き』が理由だったし、それを先生にぶつけたら、優しい返事で「なんてことない不安だった」と笑えたかもしれない。
でもその頃の私にはそれを『恋』と名付ける勇気も自信もなく、だんだん辛さが大きくなった私は、徐々に連絡をあまり返さなくなり、気づいた頃には私と先生の関係は『生徒と先生』だった頃より遠くなっていた。

一緒に過ごした夜に「どう思ってるの?」と聞けていたら。
連れていってくれた海辺で「私にはまだまだ何も無いけど、隣にいていい?」と聞けていたら。
自信がなくて、『憧れ』とか『推し』という言葉でカモフラージュした、尊くて一生忘れたくないような『恋』を見て見ぬふりしたあの時の自分を、何度も後悔したし、これからも後悔しながら生きていくと思う。

「あの時、本当は引きずって、ずっと好きな人もできなかったんだよ」と、いつか笑って先生に言うことが今の私の目標だ。