「まよ、目をつぶって」と言われた瞬間、私の頭の中で「SAY YES」のイントロが流れ始めた。
目を閉じると、短いイントロののち、チャゲとアスカが「SAY YES」を歌い始める。
出会って14年目、長い友達期間を経て付き合い始めて3年目。遠回りしたように見えて、そう、私たちの間に余計なものなど何もなかった。これまでの日々が、一瞬で走馬灯のように思い起こされる。こみ上げてくる涙をぐっとこらえる。

頭中のチャゲとアスカは歌い進める。それにしても、彼ら、ノリノリである。
付き合って3年目のクリスマス旅行。私が社会人になったため、箱根で露天風呂付個室の旅館という贅沢。2人で地ビールを飲みながら露天風呂に入り、恒例の花札の12月戦をした。
年間勝率は圧倒的に私の方が良い。しかし今回は負けた。彼氏の得意そうな顔に本気で腹を立てかけるも、ここは旅行先だから、と自分をなだめる。そんな、時だった。

「じゃあ、罰ゲームね。まよ、目をつぶって」
いつも小学5年生の男子しか喜ばないような下ネタばかり言ってふざけている彼氏が、いつになく真剣な表情をしている。
「え、何?」と私もつられて真面目な顔になる。
「いいからつぶって」。彼氏のその言葉には有無を言わせぬ迫力があった。

◎          ◎

チャゲとアスカは勢いを増していく。彼らの瞳と歌声は期待で輝いている。
これは……これは、来たんじゃない?
お互い27歳、結婚適齢期。私が長い大学生活を終え、安定した企業に就職して1年。付き合って3年目というタイミング。クリスマス旅行、かつ箱根で露天風呂付個室の旅館という申し分ないシチュエーション。そして地ビールで2人ともほろよい気分。
パズルのピースがぱちりぱちりとはまっていく。うそ!?これは……これは、されちゃう
んじゃない、プロポーズ?

さらに盛り上がりを見せるチャゲとアスカ。リズムに乗り、ダンスまでし始めた彼らと同様に、私の頭の中もお祭り状態だった。
そうかぁ結婚かあ!まあ良いタイミング、良いシチュエーションだもんな。私が君でも確かにプロポーズするよ、分かるぞ。彼氏よ。うん、頑張れ。
でも待って、結婚したらやっぱり苗字変えなきゃいけないのか……、嫌だ絶対変えたくない。まあそれは話し合いだな。
あ、やばい、緊張でお腹キュルキュルしてきた。冷静そうに見せているけど、嘘です、めっちゃ心臓バクバクしていまーす。うわーやばい!てか、なんて言われるんだろう。
いや、その前になんて返事しよう。折角だからカッコいいこと言いたいな。目を開けて言われたらちょっと戸惑ったふりして、でも今後の人生何十年も2人の間で、もしくは子どもができたら子ども、孫ができたら孫にも語り継がれるようなカッコいい一言を言って、首を縦にふるんだ。「はい」って言うんだ。
ほら脳内チャゲアスも「SAY, YES!」って言っている。ほら期待の目でこっちを見ている。歌って踊って盛り上げてくれている彼らの思いに応えなければ……!
私の人生のサビに入るぞ、チャゲアスよ盛り上げてくれ!さあこい、彼氏!よし言うぞ!SAY!YES!

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「まよ、手を出して、目を開けて」
彼氏の言葉で目を開けると、手のひらには指輪が置いてあった。わあ!婚約指輪だ!あれ?こんやく、ゆび、わ……?
指輪の様子が何かおかしい。リングの上には、ダイヤの代わりに赤い半透明な球がいくつか輝いている。半透明な球の最上部は、より濃い赤で染色されている。これは……これってもしかして……と困惑する私と、脳内で同じく困惑して歌うのを止めたチャゲとアスカとは対照的に、彼氏はニコニコと笑っている。

「いくらリングだよ!まよ、いくら好きでしょ?」
破顔一笑の彼氏は、話を続ける。
いくら???リング??
「おにぎりん具シリーズっていうんだ。ゲーセンのガチャガチャで見つけて、いくらがあるの知って、まよにぜひあげたいなって。なかなか当たらなくて、いっぱい回しちゃったよ」
おにぎり、ん具?????
彼が話せば話すほどに頭の中のはてなは増えていく。
「面白くない?あれ……面白く、ない?」
彼氏が私の表情を見て、やっと異変に気付く。
その時私はどんな表情をしていたのだろうか。今度はきっと彼氏が私の表情につられていったのだろう、段々と彼氏の満面の笑みが崩れていく。少しの沈黙が流れ、そして彼はこう言った。
「あれ、いくら好きじゃなかったっけ……?」

好きだけどぉぉぉぉ!好きじゃなくなったぁぁぁぁ!!!!!!!(cv.サツキとメイ)

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私は今まで彼氏といくらに抱いたことのない怒りと殺意を抱いた。そこからはお説教タイムであった。
このシチュエーションでプロポーズを期待しない結婚適齢期の女性はいない、と。いくらは好きだけど、いやもう嫌いになりかけているけれど、それはともかく、ドキドキを返せ、と。おりにぎりん具はありがとう、でも本当に罪深いことをしたのだ、と。
お説教が終わると、彼氏はしょんぼりして、さらにこう呟いた。
「まよならもっと笑ってくれると思ったのに」

全かがみすとたち(あとチャゲとアスカ)に問う。
これは、プロポーズを期待した私は悪くないですよね?もっと笑えなかった私は悪くないですよね?答えは聞くまでもない。強制的にSAY YESだ。

こうして2021年12月4日(深夜)は、私の中で色々な意味で忘れがたい記念日となった。
されてもいないプロポーズを心の中で勝手に受けた日として。
「プロポーズは男から女へするもの」という自分のアンコンシャスジェンダーバイアスに気づいた日として。
27年間好きな食べ物ランキングで圧倒的な強さで1位に君臨し続けたいくらを嫌いになりかけた日として。
そして、混乱の中でもしっかりと分かった、「結婚するのは結局この人しかいないな」という悟りを得た日として。

あれからもうすぐ1年。彼氏へ。「たまには俺のこともエッセイに書いてよ~」とせがむから書いてやったぞ。望んでいるような甘い形ではない。復讐のエッセイだ、ざまみろ。
書いていたら思い出し怒りしてきた。今度会ったら回転寿司をおごらせてやる。頼むのは、もちろん、いくら一択。

だって、なんだかんだ、結局、好きだから(照)。