とても情熱的だったな、と今では思う。何しろ十年間も引きずっていたのだから。

「ねぇ、好きなんだけど」とAに言われたのが七歳の時。ドッジボールとどろ団子づくりが生きがいだったあの頃の私は、イマイチ「好き」がよくわからなかった。だから、「ありがとう」とだけ返した。奇遇にもAとは、小学一年生から四年生までずっと同じクラスだった。

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ある日、低学年の頃のことがAと話題になった。担任の先生が怖かったことや、今はなくなってしまった校庭の遊具なんかについて話していたはずだった。Aがおもむろに「あの時すごく緊張したのに……」とつぶやいた。
「あの時?」と首を傾げれば、Aは悲しそうな表情で「忘れた?」と返す。
「告白した時」と言われてもなお、私は思い出せなかった。なぜならあの時の言葉を告白としてではなく、ただの褒め言葉として受け取っていたからだ。
あれがAにとってどれほど勇気がいるものだったか、本人から懇切丁寧に説明された。私がその勢いに戸惑っていると、Aは「今でもいいから返事が欲しい」と言うのだ。

「もう二年以上も前のことだから時間切れだ」と私は拒んだ。
するとAはもう一度告白をし始めた。「好きだから付き合って欲しい」と。
それはまるで、よくある少女漫画の一ページのようなありきたりなものだったけれど、嬉しくて仕方がなかった。
小学生の「好き」は単純なのだ。私は即座に「うん!」と答えた。二分前までは頭のいいBくんが好きでも、友だちがHくんをかっこいいと言えばHくんも悪くないと思えてしまうくらいには移り気な心の持ち主なのである。

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その二か月後、Aの転校を知らされた。「転校しちゃうからその前に出かけたい」とのことで、一緒にプラネタリウムと蛍を見に行った。そこで初めて手を繋いだ。Aは海外に転校するけれど、一年後に戻ってくると言った。
しかし、それがAとの最後の思い出になってしまった。Aが帰ってくることは無かった。転校先の電話番号も、住所も何もわからない。

小学校を卒業する時に忘れようと思ったのに、それができなかった。時間が経つほど思い出が美化され、それがかえって胸をえぐるようだった。
あんなにも多感で移り気な時期に、二年半も私を好いてくれたのだから。そう考えるほど、Aは私を今でも忘れずに好きでいてくれているんじゃないかと期待した。

周りの友人たちは引いていた。「いつまで引きずっているの」と笑った。そりゃそうだ。そのときにはもう四年が経っていた。
流されるように数人とお付き合いというものをしてみたが、それでもAが色濃く胸に染みついて離れなかった。それは呪いのようでもあった。
「Aくんが今でもそばにいたらこうはならなかったと思うよ」と高校の友人が言う。「Aが離れて行ってしまったからこそ、私がAに執着しているだけ。これはもう恋なんかじゃないよ」と。私はその言葉を否定できなかった。

私はずっとAが好きだったわけではなく、Aの存在が見えなくなって途端に恋しくなってしまっただけなのだ。Aのことを全く知らない高校の友人の客観的な意見に、私はやっと冷静になった。
これ以上過去にしがみついていては、自分がダメになってしまう。だからと言ってすぐに手放せる想いではないため、時間をかけながらAを思い出さなくても一人で歩けるようになるためのリハビリをしていた。

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そしてようやく今、その時が来た。本当に長く苦しいものであった。恋の始まりから、執着の終わりまでちょうど十年かかった。青春の大半を費やしてしまったことが悔やまれる。

私はアルバイトで小学生と接する機会が多くあり、時々そっと恋愛事情を打ち明けてくれることがある。私はそれを絶対に茶化したり、笑ったりしないと心に決めている。拙いものであったとしても、彼らは大人と何ら変わらず真剣に恋をしているのだと経験を通して感じたので。

私はこの文章を書きながら、なんとも未練がましくみっともないものなんだと頭を抱えた。この先読み返したくない文章ランキングナンバーワンだ。
けれどこんな人もいたんだなと誰かに知ってもらえたら、悪くない終わり方なんじゃないかとも思えた。