1,800日。私と彼が恋人同士として過ごした時間。
1,300日。私と彼が元恋人として過ごしてきた時間。

私が高1から半年強の空白期間を伴いつつ、6年を共にした人と別れたのは大学3年のとき、今から3年半ほど前のことだ。わがままで自分本位な私とは反対に、彼はいつも愛と優しさに溢れていて、いつでも私を思って行動してくれていた。同級生からも後輩からも「いい彼氏」「あこがれのカップル」と言われていた。
はじめに言っておく。私がこの恋から学んだのは、愛は与える側にのみ育ち、与えることによってのみ愛は育つということだ。

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出会ったときからこの人だと思っていたし、本気でこの人と結婚するのだろうと思っていた。別の人との将来を描いている今でも、どこか私がもっと彼を大切にする世界線に、そういう結末があったんじゃないかと思う。

私たちはいつも人生の岐路で別の道を進んだ。
1度目は寒い北海道の12月、私が京都の大学を受けた頃。切り出したのは私からだった。
2度目はそれぞれが就活を始めた頃。今度は彼からだったが、それは私の気持ちが離れていることに気づいていたからだった。京都はすっかり春、北海道はまだ解けかけの雪が残る3月だった。

高校生の私は、彼の独占欲や束縛、そういう不安でかまってちゃんな気持ちをただ鬱陶しく思っていた。復縁するときには互いを縛らないルールを設けようと言い出したりもした。
大学生の私は、愛を与えてくれる彼に愛の返し方がわからず、ただ長く深く思い悩むことで自らを悲劇のヒロインにしていた。「とにかく彼といると楽しい」、その1本きりの弱々しい柱に縋りついていた。
私はいつでも自分が正しいと思っていたし、自分の心の小さな傷を大事に大事に撫でていた。

これだけ長い時間を共にして、彼を傷つけ続けた私と傷を負い続けた彼は、高校卒業後も半年に一度は集まる。そのたび未練や復縁を持ち出す彼に、私はいつも苛立っていた。「せっかくみんなで楽しくやっているのに台無し」と。

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24歳になって、他に愛する人が現れて、その愛に触れて、ようやくじんわりと気づき始めた。そうじゃない。すべてが「そう」じゃなかったのだ。
高校生の彼が束縛していたのは、私が不安にさせるような態度だったからだ。
大学生の彼が私を諦めたのは、私が愛を与える側に変わろうとしていなかったからだ。
元恋人の彼が私との楽しい時間を終わらせるのは、私のせいで彼が楽しめていないからだ。

今ならわかる。彼はそんな私をまるごと愛そうとしてくれていた。それを諦めるのは、その希望を捨てるのは、きっと彼を苦しめたはずだ。
私はきっとそんな彼を見ようとせず、彼が与えてくれるものばかりに目を向けていた。責められるべきで罰せられるべきは私なのだ。

すべての交際の終着点は、結婚か別れかの二択だ。「後悔先に立たず」と昔の人は言ったし、そう言う友達もいるけれど、恋愛について語るにはむしろ「ペイ・フォワード」がしっくりくると思う。ようやくすべての真相がわかったところで、もう私の中に彼への気持ちはない。彼にもらい続けた愛を、私は他の誰かに与えて生きていく。それが私の、あの恋の至るところだ。