大好きだった。心のやわいところすべてを、彼女にあずけきっていた。

高校一年生の冬、私は親友に、勢い任せで告白した。
田舎の女子高生、休日に遊べるところはイオンくらいのもので、フードコートに二人向き合いながら、喧騒にかき消されないよう必死に声を出していた。彼女は言動の節々に演技めいた所があって、その瞬間も控えめに、上目遣いで笑っていた。
後日学校で、彼女は私の申し出を受け入れてくれた。ちょうど、12月24日、クリスマスイブだった。私の手をとり、バレないようにそっとキスを落としてふふ、と笑う彼女は、今思えばかなりキザであった。

同じ重さの「好き」を無尽蔵に手に入れられると思っていたのは私だけ

誰かを好きになって、同じだけの強さで「好き」を返してもらえることの至福!
抱きしめて、腕を背に回してくれることの形容しがたい甘ったるさ。
これを初めて味わい、しかも自分の好きなだけ、無尽蔵に手に入れられると知った私は、もう以前の姿には戻れるはずもなかった。私の目にはいつ何時も、彼女しか映っていなかったし、彼女が私を好いてくれているかどうか、それだけを問題にしていた。
でも、まあ当然のこととして、無尽蔵だと思っているのは私の方だけだった。
彼女に愛されていたうちは良かった。盲目でいても、私はひとつも傷を受けなかったから。
気付けば、彼女は私との時間を厭うようになっていた。どこかギクシャクして、以前のように同じ重さの「好き」を、彼女から感じられることがなくなってしまった。
それでも、簡単に嫌いになんてなれなかった。彼女からの愛の虜で、依存しきっていた私は、一生を彼女と共にするものと信じて疑わなかったからだ。
けれどそれは彼女との共通認識ではないようだった。やがて別れざるを得なくなり、その時から、私の意識の八割は自己嫌悪で埋まった。彼女からの承認が得られない私には、既に一切の価値を見出せなくなっていた。

別れた彼女への気持ちは、未練も呪怨も通り越して、執着だったのかも

別れたその日、今でもよく覚えている景色がある。
学校の廊下、教室、そして帰り道。見慣れた風景だが、彩度がグッと落ちて、灰色がかった色調で目に飛び込んできたのだ。
彩りを失い、心もごっそり持っていかれて、体重も5キロほど落ちて頬がこけてしまっていたその時、私の救いになったのが、部活の先輩と友達だった。友人たちの顔がはっきり認識できた時、私は今までこれほど、彼女たった一人にしか興味を持てていなかったのか、とある種の感動をもって実感したのをまだ思い出すことができる。
高校を卒業するまで、彼女への未練は続いた。当時私は未練じゃない、怨恨だと言い、彼女からどんな精神的ダメージを受けたか、武勇伝のように身内に語っていた。しかし三年生の時一番仲の良かった友達には、後に「あなたのことが好きだった時期もあったけど、元カノの話をずっとしてたから、まだ好きなのかなって思って諦めたんだよ」と言われてしまった始末だから、やはりあれは未練だったのだろう。あるいは未練も怨恨も通り越した一種の執着だったのかもしれない。

もう終わった話なのに、あの時の煌めきを今も大切に抱きしめている

執着は、あの楽園のようだった女子高を抜け出してもまだ私の中で息づいている。流石にSNSのチェックもしなくなったが、あれから私は誰かに恋をする感覚をすっかり忘れてしまったのだ。
彼女と別れてから、二人とお付き合いをしてきたが、あの時ほどの煌めきを得ることができない。彼女との甘いやり取りが、キスの味が、手の感触が、忘れられないのかもしれない。彼女は私に沢山の、酷い置き土産をしていった。けれどそれを大切に、たいせつに取っておいて、手放せず抱きしめているのは、他でもない私だ。
もうとっくに終わった話だ。私の愛した彼女は既に死に、侮蔑をもって私から目を逸らす彼女へと生まれ変わったのだから。けれどどこかで、四年ほど前の恋愛で受けた傷を愛おしそうに撫でている自分もいるように感じる。
至上の幸福と、喉を掻き切るような苦痛とを一気に味わった、あの刺激から抜け出せない。この恋を終わらせてくれる相手を、私は今も探しているのかもしれない、あるいは。