高校生の頃、私のお昼ご飯は手作りのお弁当だった。週に2日ほど売店のパンの日もあったが、残りの3日は母が早起きをしてお弁当を作ってくれた。
私は売店のパンも好きだった。

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授業の終わりとともにお昼休みの始まりを知らせるチャイムが鳴るや否や、小さな財布を片手に急いで売店まで向かう。にも関わらず、既に人だかりができていて、売店のおばちゃんに話しかける声があちこちから聞こえる。

パンには商品名を記載した札はなく、ただ価格ごとに並べられているので、一体このパンは何のパンなのかと尋ねているのだ。同時に何人もが話しかけているのに、それを上手く捌きながらお金の受け渡しも行っているおばちゃんの能力はたぶん聖徳太子に近い。実はすごいおばちゃんのこと、もっと敬え〜、敬語を使え〜!なんて。かく言う私もタメ口で話してしまう。パンも美味しくラインナップに変化もあって飽きないし、パンを買うまでのこの時間も好き。
こういうおまけで付いてくる楽しみって侮れない。

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母の手作り弁当も、ただのお昼ご飯では留まらない。
朝起きて、寝ぼけまなこでリビングに入って来る私を、ダイニングテーブルに並ぶお弁当用のおかず達の鮮やかさと、その美味しそうな匂いが迎えてくれる。「母の手作りのお弁当」には、この朝の幸せな時間も付いてくるのである。
そして、すかさずエプロン姿の母の「おはよう」がキッチンから聞こえる。
「そこの……その2つね!ブロッコリーも3つくらい食べていいよ」
粗熱を早く取るためのうちわで指す先にあるのは、2つのラップおにぎり。思わずにんまりする私。

これもお弁当のおまけで付いてくる楽しみの1つである。
本エッセイ2回目になるが、言わせてほしい。
おまけというのはなかなか侮れない。この世の中では、おまけ目当てで商品を購入することも往々にしてあるくらいなのだ。

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母の手作り弁当は恋しい。しかし、お弁当の日の朝ごはんになる「ラップおにぎり」の味はそれ以上に恋しい。
このおにぎりは、お弁当に入るお米の中に、同じくお弁当に入るおかずが入ったおにぎりである。

厚焼き玉子や唐揚げ、白身魚のフライ、ほうれん草の胡麻和えやウインナーと、とにかく母は何でもおにぎりの具にする。何が入っているかは食べてからのお楽しみだ。おにぎりの具としてびっくりするようなものも、食べてみると意外に美味しいという発見もある。
おにぎりって奥が深い。

そういえば最近また、おにぎり専門店が中心部に何店かできたけれど、流石にスパゲッティやグラタンのおにぎりは取り扱っていないだろうな。あれ、美味しいのに。

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高校卒業とともに、手作り弁当からも卒業した私は、あのラップおにぎりを食べることができなくなった。
「お弁当のおまけだったあれだけ作ってほしい」と母にリクエストしたいところではあるが、それもなんだか違うような気がしている。
お弁当のおかずの匂いに包まれながら、何が入っているのかドキドキしながら食べるのがいいのだ。

あのラップおにぎりは、お弁当のおまけでありながら、メインのお弁当以上の魅力を私に感じさせる。が、それはあくまでも、お弁当のおまけという立ち位置でなければならないみたいなのだ。

社会人になった私が母にお弁当を作ってもらうなんてわがまま言えないし、母以外の誰か……例えば彼氏と同棲して作ってもらう、とか?
なんてこと実現しそうもない。
もう一度食べたいのは山々だが、今世では難しいのかもしれない。
レシピ自体は簡単なのに、食べられない味があるのだと思い知らされる。